今年2022年、七尾市の青柏祭で三年ぶりに曳山行事が行われた。
朝の早くから動き出す山車もあるというので早起きして見に行ってきた。
三年ぶりの曳山行事
コロナ禍のせいで二年前は中止、昨年は曳かれることなく神社の前で1基だけ展示されていた青柏祭の曳山行事(でか山)が、今年2022年、ようやく三年ぶりに復活することになった。
七尾は祖母が住んでいたところで青柏祭には子供の頃によく見に行っていたので、自分の中のルーツの一つのように感じている。
それが二年間行われなかったものだから、金沢に住んでいながらも寂しかった。
実は昨年の「展示」も見に行っている(昨年の写真です)
府中町の山車が…
神社の前で展示されていた(去年の写真です)
神輿なんかもやってきて、このあと神事も執り行われていた。
神事も見ていた(去年の写真です)
神事は行われていたが、デカ山こと巨大な山車が、家々が立ち並ぶ狭い町中を進んでいく「曳山行事」は行われなかったのだ。
神輿が去っていくのに合わせ、自分もこの場を後にしていたものである。
ほんと、何かが寂しくて、何かが悔しくて、それでも展示だけでも行ってくれた町の方々に感謝したくなってと、複雑な気持ちで駐車場へと向かったのを覚えている。
それだけに今年曳山行事が行われると知って必ず見に行こうと連休前から決めていたのであった。
早起きして7時前の七尾へ
青柏祭を見に行くにしても、自分としても連休中に色々と用事があるため、すべてを見ることは出来ない。
青柏祭は5月3日、4日、5日と三日間にわたって執り行われるのだ。
毎回、目的を持って時間帯も決めて見に行っている。
昼も見に行ったし、夜も見に行ったし、なんだったら曳山行事ではなく神事である本当の意味での「青柏祭」も見に行ったものである。
(三年前に本当の青柏祭を見に行ったときの記事は→こちら)
今年はそれらとはまた違った角度から見てみたく、4日(水祝)の朝7時から始まる曳山行事を見に行くことに決めたのだった。
デカ山は3つの町から出ているが、実はそれぞれ始まる時間がずれている。
今年で言えば、
鍛冶町:3日の20時スタート(「宵山」という)
府中町:4日の0時(深夜)スタート(「朝山」という)
魚町:4日の7時(早朝)スタート(「本山」という)
このように時間をずらして運行し、4日の正午には大地主神社(山王神社)に「三台勢揃い」するという流れになる。
三台が神社の前に「供え」られ、青柏祭の本祭の神事が執り行われるわけだ。
魚町の山車の早朝の出発から正午に大地主神社に到着するまでの動きを追いたいと思ったのである。
ということで朝っぱらに七尾市に到着
市役所の前の臨時駐車場に朝の6時30分くらいに到着しただろうか。
臨時駐車場の中でもここは期間中満車でなければずっとオープンしているので朝からでも使える。
こんな時間なので、あたりまえだけどすんごく空いていた。
もちろんこの時間に金沢からくるために、自分はこの日、朝の4時起きだった。
5時15分くらいに家を出たと思うけど、のと里山海道を使っても車だと金沢からここまで1時間15分はかかってしまう。
早朝だから人も殆ど歩いていない
天気が良くて朝焼けも眩しく、歩いていて気持ちが良かった。
魚町のデカ山は一本杉通りの御祓地区コミュニティセンターのあるところからスタートするので、市役所前の駐車場から歩いて向かった。
それなりに距離はあるが、青柏祭のデカ山を見に行く、追うというのは「歩く」ということなので、準備運動みたいなものである。
並ぶ出店も開店前
駅前から道の駅能登食祭市場へと続く御祓川シンボルロードに並ぶ出店の朝の様子だ。
こういった光景も初めてなので、すごく新鮮だ。
ここから仙対橋のところ(角に中山薬局が見える)で左折し、橋を渡ると一本杉通りだ。
一本杉通り
こちらも人が歩いている様子がない。
ただ、通りの奥で、小さいながらもすでにデカ山の姿が見えた。
さらに近づく
ここまで来たらデカ山だと認識できるだろう。
遠くからだとちょこんと座しているようだけど、高さ12メートル、重さ20トンの日本で最大級の山車だ。
脇道に目をやると猫がいた
ちょこんと座っていた。
猫と比べるとよくわかる。
猫は民家の屋根より遥か下にいるけど、デカ山は家の屋根くらい、なんだったらそれより大きい。
一ヶ月近く車両通行禁止だったらしい
通りの一部が4月9日~5月6日まで通行禁止なようだ。
ということは魚町のデカ山は今停まっているあの辺りで組み立てられたということだろうか?
このあたりまで来ると人の姿も見えてきた。
自分のような見物客や、山車の前では法被姿のまつり関係者が何人もいた。
でか…
一年ぶりのデカ山。
わかっちゃいるけど、一年ぶりに目にするとやはりその高さにまず圧倒される。
二階建ての家の2倍くらいあるし、電線にも引っかかりそうだ。
このあたりにいた
御祓地区コミュニティセンターのあるあたり、鮮魚店の「近江屋」や「わくうら印刷」がある交差点に停まっていた。
自分が到着した頃に開始15分前(6時45分)を知らせる声が響いていた。
7時から神事が始まり、神事が済むと大地主神社へ向けて一本杉通りを駆けていくことになる。
魚町の法被
丸に二つ引きの山紋(マーク)を背負い、左腕には鯛が描かれ、右腕の裾には「魚」の文字がならぶ。背中からでも「魚町」だとわかりやすいデザインだ。
この時間はまだ山車の周りに曳き手の方々しかおらず、自分としても近寄りづらい感じがあった。
でも近づく
曳き手の方々の間を抜けて側面に回ってきた。
こちら側に回ると「出し物」(人形飾り)を見ることができるのだ。
人形飾りは3つの山車でそれぞれ違う。しかも毎年違う。
今年(2022年)の魚町の出し物は「上杉謙信七尾城入城『九月十三夜』」というものだった。
謙信公だ
上杉謙信が七尾城に入城した際にその絶景に感動したという話があるんだけど、デカ山からも眺めはいいだろう。
電線は邪魔かもしれないが…
町中にいると電線の高さに人形飾りがあるから仕方がないが、それだけ大きいということだ。
キッズたちが上がっていた
人形飾りがある舞台には人も上がっていける。
主にお子さんたちが登って下から撮っている自分たちを見下ろしていた。
自分は上がったことがないので分からないが、眺めはいいに違いない。
なんか神事の準備が
人形飾りを撮っていると開始の7時が近づいてきたようで、神主さんがあらわれ、神事の準備が始まっていた。
この頃には山車の前にカメラを持った他のお客さんや報道関係と思われる人の姿も見え始めた。
写真のような状況になっていて、曳き手の方々も神主さんの後方に並んでいたので、自分としてはなんか移動しづらくなっていた。
7時~神事始まる
7時に神事スタート
あれよあれよと準備も終わり、7時になると神事が始まった。
移動もままならず、結局こんな角度から見ることになった。
でも、こうしてみても、宮司さんをかなり近くで、しかもやや正面から捉えられるのでいいところに陣取れたのではないかと、すぐにそんな気もしてきた。
祝詞が読み上げられると…
車体に塩をまく
お清めの塩だ。塩はあまり撮れていませんが…
四方をぐるりとまわって撒いていたので神主さんをこんな近くで撮れることになった。
このとき、自分の隣で同じような角度から撮影していた法被を着ていた方がいたのだけど、その方が塩をまきに神主が近づいてくることを教えてくれて、そのおかげでこうして撮ることが出来た。
後で知ったのだけど、その方、青柏会(あおかしわかい)というデカ山の記録保存やPR活動を行うボランティアグループの人だった。
この方にはこの後も撮影スポットやタイミングで何度かお世話になる。
玉串の奉納へ
玉串の奉納も始まった。
魚町のまつり関係者や
若衆の方々
木遣り衆の方々や
政治家の人の姿も
女性の姿も
デカ山が女人禁制だった時代もあったみたいだけど、現代ではそんな枠も関係ないようだ。
女性はやっぱり華がある。
ほかにもまだまだ何人か奉納していた。
突如現れたプロカメラマン
奉納シーンを撮っていたらMROのカメラマンが目の前に現れた。
映像のカメラはやっぱりでかい。三脚も立派。
地元テレビ局の人たちも来るんだろうなとは思っていたけど、こんな朝の7時から来ているとは正直思っていなかった。
でもまあ、三年ぶりの曳山巡行だ、朝が早かろうがやってきたくなりますわね。
奉納の後には表彰も
奉納だけではなく、若衆らが表彰も受けていた。
名前を呼ばれて元気よく返事をしていた方もいて、そのときは現場がちょっとほっこりとした。
酒を掛けるシーンも撮る
偉い人たちの簡単なスピーチも終わると、御神酒をデカ山にかけ始めていた。
塩のときと同じように青柏会の方が教えてくれたおかげでこうやって追いながら撮ることが出来た。
塩のときと違いお酒の動きも捉えられている。
より近くで捉えるお酒(雫)の動き
我ながら臨場感が出ている気がして、撮ったものを見返しながら一人で興奮してしまった。
余韻の図
御神酒を受けた後の木材用具。
これらを梃子のように使いこの巨体を旋回させたりする、デカ山にとって重要なアイテムだ。
これから活躍するので余韻などと言っている場合ではない。
なお、コロナ禍対策のため、御神酒を人間が飲むことは今回禁止されていたようだ。
一升瓶をラッパ飲みしている光景も祭りの醍醐味なんだが、世間の目もあって大人にならなければならなかったようだ。
酒はなくとも気合は乗る
若衆(木遣り衆)たちが円陣を組んでいた。
このスポ根青春のような一幕に自分もなにか震えるものがあった。いわゆる武者震いだ。
いよいよ本山が動き出すのである。
発進~一本杉通りを駆け抜ける
山車に乗り込む木遣り衆
円陣を組んだあと、木遣り衆の方々がいよいよ山車前方の足場に乗り込み始めた。
こうしてみると登るのにかなりの力がいるようだ。
その瞬間、この躍動感を近くで捉えることが出来て、ここから見ていてよかったなと一番思った。
山車の前で木遣り唄と舞いも始まる
自分はこの唄と舞いが青柏祭の中ですごく好きで、自分の中のノスタルジーに触れるのか、なんか泣けてくる。
他の曳き手の方々がその前で胡座をかきながら座って聞いている姿も、調子を合わせるゆっくりとした手拍子も、そしてもちろん木遣り唄もただただ胸に響いて、全身が熱くなってくるのだ。
みよ、この木遣り衆の勇姿(お一人ちょっと顔が隠れてしまいましたが)
デカ山の花形になるので当たり前といえばあたりまえだけど、かっこいい人達だ。
何より、唄がうまい。それこそあたりまえか…
唄も終わると曳く準備も始まる
でっかい木製のストッパーも外され、綱も伸ばされていく。
あ、綱、伸びた
よそ見をしていたらいつの間にか伸びていた。
木遣り衆の掛け声も聞こえて今にも発進しそうな雰囲気が漂う。
お…
え?
あ~動き出したー!!
デカ山の側面にいたものだから発車を正面から捉えることが出来ず、いきなり追う展開となってしまった。
しかもかなりスピードを出して進んでいく。
歩いて追いかけられるだろうと当初は思っていたのだけど、駆け足じゃないと追いかけられないくらいの速さで、この狭いストリートを進んでいくのだ。
なんでもこの一本杉通りを通る際はいつも速いのだとか。
知らなかった…
早朝の青柏祭、自分の知らない青柏祭を見せてくれる…
そのスピードだけにどう考えても危ないので山車の横を駆け抜けて前方に出たいという気持ちにもならず、途中で止まるまでこうして後ろから追いかけることになった。
停まった…
なにか指示を出している。
通行のために車体をちょっとずらしているのだろうか?
まだ道が狭く作業の邪魔をしたくなかったのでこのときも前に出られないでいる。
なんだ、この背中から感じる充実感は
ひと仕事終えて一斉に向けられる背中。
合図をしてそうしているわけでもないのに背中が揃っていたので撮りたくなった。
隣ではMROのカメラマンも捉えていた。
気持ちだけでもその環に混ぜてもらいたくもなったが…
再び動き出した
こうしてみると、この狭い通りになかなかの数の人がいる。
こんな状態であったので、人の波を掛け分け、動く山車と民家の狭い空間をすり抜けたいとは思わなかったのである。
っていうか電線にあたってないかい?
後でテレビで知ったけど、実際かすめていたりしていたようだ。よくよく考えるとかなり危険なことをしている。
再び止まるデカ山
こうして停車、発車を繰り返していた。小休止を入れるのだ。
止まるとシャッターチャンスなのでここぞとばかりに撮っていく。
祭りの男の背中だ
法被の中に長袖を着ている人も何人か見かけた。
朝早くはすごく寒くて自分も厚手のパーカーを着込んでいたのだけど、この日は昼にかけてどんどん気温が上昇していったので、長袖ではかなり暑くなっていたと思う。
ピークで25℃の夏日になっていたんじゃなかろうか。
またまた動き出す気配
っていうか動きだしたので、そろそろ前からの画も撮りたくなって、自分もこのタイミングで正面に回り込むことにした。
正面へ
五人の木遣り衆も正面に見える。
この巨体が迫ってくるので、自分は軒下に隠れながら撮影だ。
安全係の人がちゃんといて、進行の邪魔になるくらい身を乗り出していたりするとちゃんと注意される。
ぶつかったらガチで事故だ。
木遣り衆のジャンピング!
マイクも使っているから「わっしょい!」の掛け声もよく響いて、さらにはこうして飛んだり跳ねたりで景気付けていく(煽っていく)様は「the・祭り」って感じで愉快だ。
おぉ~
目の前を
通り過ぎていく
180cmの自分の身長よりでかい車輪が目の前を通過。
写真を撮ってはいるが危ないのでその場から動けない… この瞬間のその圧迫感がまたたまらん。
それにしても一本杉通りって、こんなに速いスピードで抜けていくんだねと、近くで目にして改めて感嘆、思い知らされた。
一本杉通りを抜けきる
一本杉通りを駆け抜けて、その先の仙対橋のあたりで停車。
このあたりは高い建物がないので青い空ともよく映えるし、人形飾りも実に見やすい。
デカ山をバックにここで記念撮影をしている人も多かった。
一つのミッションをクリアした、そんな爽快感がある。
それを味わえたのも、朝早くからやってきたからだろう。
後半へ続く
魚町のデカ山はこのあと大地主神社にむかい、正午頃には到着。鍛冶町、府中町のデカ山と併せ三台勢ぞろいすることになる。
自分もそこまで追いかけている。
興奮の余韻が残っていて、ここまでで文字数がかなり多くなってしまったので、続きは<後編>で記したい。