初心の趣

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倶利伽羅さんの「八重桜まつり」へ行ってきた<後編>(山頂本堂)

津幡町倶利伽羅不動寺、ならびに富山県小矢部市へと続く倶利伽羅峠で行われている八重桜まつりへ4月24日に行ってきた。

その後編だ。

前回の西之坊鳳凰殿から6km近く離れた山頂本堂にも寄ってきた話だ。

 

 

倶利伽羅不動寺山頂本堂へ

倶利伽羅さんの「八重桜まつり」は倶利伽羅不動寺の山頂本堂とその近辺の倶利伽羅峠がメインだったりする。

前回記した西之坊鳳凰殿からは6キロメートルほど離れた場所にある。

まずは地図

峠道を登っていった先の山の途中にある。

鳳凰堂を出たのが正午ちょっと前だったので、混みそうな予感があった。

実際、鳳凰堂を下山するとき、反対車線(これから鳳凰堂へ向かう人達)が長蛇の列であったのだ。

途中まではスイスイ行けたのだけど…

1km手前辺りから渋滞になっていた

道の細いところが何箇所かあり、車がすれ違うのもギリギリで簡単には進めないのである。

もちろん、駐車場もいっぱいだったようで、なかなか動かなかった。

中にはしびれを切らして途中で強引にUターンして戻っていた車もいたくらいだ。

気持ちは、分からないでもなかった。

自分は、ひとまず我慢した。

なんとか到着

倶利伽羅不動寺や手向神社へと続くこの鳥居の近くの駐車場に停めることが出来た。

正確には道路を挟んで「不動ケ池」があるところの駐車場だ。

自分、実を言うとこの山頂本堂の方へと来るの、今回が初めてである。

去年はこっちまでくるの挫折して来ていないのである。

そんなもので、お寺のはずなのになんで神社の鳥居があるのか、しばらく「?」だった。

左には「倶利迦羅不動寺」ともちゃんと書かれているし、間違っていないことは確かなのだが。

とりあえず鳥居をくぐって石段を上ってみることに

扁額に「手向神社」と書かれた鳥居だ。

八重桜まつりなのでぼんぼりが何本も献灯されていた。

「倶利迦羅そば 普及会」のものも

前回記した、西之坊鳳凰殿の食堂で食べた倶利迦羅そばだ。普及会というものもあるようだ。

食べたばかりだったんだけど、こういうのを見るとまた食べたくなってしまった。

次は「もり」(冷)で食べたいと思ったのだ。

手向神社(たむけじんじゃ)に到着

まずはこちらで参拝だ。

後で知ったことだけど、木曽(源)義仲が倶利伽羅峠の戦いで平家に勝った後にここに太刀を一振り寄贈しているそうだ。

今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でもかなりよく描かれていたけど、木曽義仲、カッコいいんだよね。地元贔屓だろうか。

そばには花手水も

西之坊鳳凰殿でもそうだったけど倶利伽羅さんでは花手水が多い。

こちらとしては撮り甲斐がある。

これまた後で知ったことだけど、手向神社ってもとは長楽寺というお寺だったみたいだ。

しかももともと不動明王を勧請(かんじょう)したお寺は長楽寺なんだとか。

明治の神仏分離によって長楽寺が廃され、手向神社となったそうなのだ。

狛犬

もちろんいた

岡崎現行型ながら力強い顔立ち。

この睨みつけるような目がいいですな。

お、出店

狛犬を撮っているとその背後に出店が並んでいるのが見えた。

さらにその後方にお堂も見えてくる。

そこが倶利伽羅不動寺の山頂本堂だ。

こちらが本堂正面

もっと正面らしく撮りたいところだったけど、後方に出店が出ていてそこに人の列ができていたので、こうして斜めから撮るしかなかった。

ちなみに本堂の中は撮影禁止だ。

振り返ると人の列

ここで倶利伽羅さん八重桜まつり名物の「念仏赤餅」の販売が行われていて、皆さんそれを買い求めていたのだった。

ひとまず境内を歩いてみよう

ここに来たの初めてなので、どのようなものが鎮座していて、どのような景色なのか歩いて確かめてみることにした。

するとまあ、この写真でもすでに写っているけど、ひときわ目立ったものがあった。

なんだ、このバカでかい剣は

なんでも「開運不動剣」というそうだ。

不動明王はその手に黒い龍が絡みついた剣を持っているんだけど、それを模したものらしい。

人と比べるとこれくらいでかい

柄だけで人くらいの大きさがある。巨人の武器だ。

隣には修行中の弘法大師の像や、さらにその手前には白寿観音像も立っているんだけど、どれよりも目立つ。

後ろに八重桜が咲いていることにも、このとき気づかなかったくらい、目を奪われていた。

一つ戻って白寿観音さまにも合掌

九十九歳こと「白寿」の観音様で、長寿ならびにボケ封じを祈念して奉安された観音様なんだとか。

長く生きると避けられないことかもしれないが、ボケはたしかに恐ろしいのでしっかりと合掌だ。

さらに進むと「奥之院」

こちらにも不動明王が。

その手にもちゃんと剣を持っている。

倶利伽羅とはもともとサンスクリット語で「剣に黒竜が巻き付いた不動尊」を指す言葉のようで、まさにこれなんだよね。

この両脇には…

小さな梵鐘に

「厄除錫杖」が

厄除けしてもらいたいのでどちらも鳴らしてきました。

錫杖は「智杖徳杖」とも言うそうで最高の位を持つ錫杖なんだとか。

正直、恐れ多い。降って鳴らした音もかなり遠慮気味のものになってしまった…

奥には「おまん」を祀ってある祠も

正面から撮るの忘れた。

おまんは人柱となって村を救ったことで知られる少女で、彼女が持っていた小豆が自生し「おまん小豆」として現代に伝わっている。

おまん小豆茶というものもあり、以前飲んだことがある。

おまん小豆茶の記事はこちら

その背後には八重桜も咲いている。

見頃だ

八重桜まつりらしくなってきた。

八重桜もサクラなので下から撮るとその顔を捉えることができる。

結構高いところに咲いているので、だいたい下から撮ることになるだろう。

なんか五重塔があった

五重塔はすべての諸仏、諸菩薩を迎来する(迎える)塔なんだそうだ。

失礼ながら権威を示すために建立されているものだと思っていた。ちゃんと仏教的に意味があるものだったんだね。

五重塔の周りから撮るサクラ

なんか、ひときわ儚く撮れたのは気のせいだろうか。

遠くも眺められる

ここから眺めていると向こうの山の方にもサクラが咲いているのがわかり、なんだったらこの本堂側より多い気がした。

真下を見下ろすと階段から下りていけることもわかった。

こちらの階段

本堂の正面に常香炉が置かれていて、その後方にこの階段がある。

石段の途中に狛犬がいる

寺を守護しているようにいる。

本堂の正面がこの石段の方を向いているので、もしかしたらこの石段こそが表参道なのかなと考えてしまう。

こちらの狛犬

チェック

対にはなっているけど、どちらも口を開けた阿形なので少し変わっている。

表情もほぼ一緒だ。

違いといえば左にいた方は右手に珠を持っているところだろうか。

さらに石段を降りるとここでも花手水が

手水にも不動明王がいる。

華やかでいて、いかつくもある手水だ。

華やか優先で撮影

サクラも散りばめられているので、おそらくこの季節限定の装飾だと思う。

そう考えると、花手水って季節ごとに表情が変わるんだよなと今更のように気づいた。

ただ「キレイ」と撮っていただけの自分がいたのだった。

これも植物のことに疎いからだろう。

さらに降りると「お滝不動」という像も

さらにさらにはここでも不動明王

なんだったらこちらの弘法大師のところでも

不動明王な姿が…

さすが倶利伽羅不動寺というだけある。

境内にいったいどれだけ不動明王がいるんだと呆気にとられてしまうくらい不動明王様がいる。

顔がいかついので、常に監視されている感じがするんだよね。

悪いことはするなということだ。

さて、この石段を降りた先に何があるかといえば…

留田操先生の像

はっきり言って、自分には誰なのか、何をなされた方なのかわからない。

詳しいことも書かれていなかったし、ネットで調べても詳しいことが記されていないので、いまでもミステリーである。

また、この他にはこんな像も…

恵比寿天様に

大黒天様の石像がいた

前回記した倶利伽羅不動寺の西之坊鳳凰殿の境内にて七福神の石像が置かれていながらも5柱しかいなくてミステリーだったのだが、残りの2柱はこの山頂本堂の方にいた。

やっとナゾ解決だ。

スッキリした。なにかいいことありそうな気がしてならない。

 

山と峠と公園へ

境内を歩いていると、ほかにも仏教施設がある。

手向神社そばの最初の花手水の近くに「和光塔」なるものも。

こちらが「和光塔」

白色の塔なのだけど、このように丘の上にあるので、写真で全体を撮るのがなかなか難しい。

見事に光量を誤ってしまって、塔全体が逆光の中にいるみたいになってしまった。

塔の前には五鈷杵(ごこしょ)も

置かれている。

こういうのを目にすると『孔雀王』を思い出してしまう。

本来は五仏の智恵を表わすものなんだそうだ。

中に入ると四国八十八ヶ所を巡拝できるようになっていた。

ここ、高いところにあることもあって、さらにその後方から山の奥の方へと続いていた。

なんか獣道みたいな道が

クマとか出てこないよねと心配にもなったけど、普通に皆さん歩いているし、祭りで人が多いから獣も出てこれんわねと思って自分も進んでいった。

写真にも写っているように山の中のほうが八重桜が多かったりする。

なんかいいところだ

小道が桜の木々の下を通っているので、ここで写真を撮っている人が多かった。

眺望もいいし、隠れ撮影スポットなんじゃなかろうか。

自分は自分なりに撮影

はぐれ八重桜を発見したので撮影。

自分を動物に例えるとドラクエの「はぐれメタル」と言ってしまう自分なので、こういうのを見ると親近感が湧いて撮りたくなる。

後方にはまた石段のようなものも見えた。

石段の手前で牛に似た切り株発見

後ろ姿が寝まった牛のような切り株があった。

源(木曽)義仲と平家の戦いである倶利伽羅峠の戦いでは「火牛の計」というのが伝説になっているせいか、牛を連想せずにはいられなかった。

石段、急だ

写真でも伝わるかと思うけど、結構急だ。

上になにかあるようなので、急だけど自分としても登らずにはいられなかった。

なんか石殿が見えてきた

「倶利迦羅権現石殿」というそうで、加賀藩五大藩主前田綱紀によって建立されたものらしい。1677年の頃のものだ。

なお、ここ国見山というらしい。

見下ろせる

隣接していた敵国の動きとか眺めることができそうだ。

なんか久しぶりに歴史シミュレーションゲームをやりたくなってくる。

五重塔やあの剣のオブジェも見下ろせる

あの剣、やっぱでかいね。

なんだこの急過ぎる石段は…

上ってきたところの石段の脇にこんな急過ぎる、どう見ても崖のような石段があった。

転げるの嫌なので、ひとまず避けることにした。

別の駐車場に続く道、発見

小道を歩いていると、登ったところから反対側に別の駐車場へと続く道があった。

どこに続いているのか進んでみると…

公園の駐車場に続いていた

自分が停めた駐車場からさらに道路を登っていくとここに出るようだ。

津幡町倶利迦羅公園だ

先程も切り株の所で触れた「火牛の計」も描かれていた。

ああやって牛の頭に松明をくくりつけて先行させた伝説的計略だ。

こんなことやられたら、平家方もそりゃびっくりするわね。

花見やってる

桜の下で動き回れるし、いいところだ。

園内はこうなっている

公園案内図だ。

お手洗いの男女のピクトグラム倶利伽羅っぽくって…

鎧武者に

女武者

源(木曽)義仲と巴御前だろう。

今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも登場していたので全国的にも知ってもらえたと思うけど、巴御前もまたカッコいいんだよね。地元贔屓かもしれないけど。

義仲を演じた青木崇高さんと巴を演じた秋元才加さん、どっちもハマってた。

義仲の最後の回は、泣けてきた。

なお、自分が足を運んだ日の前日(4月23日)に、お二人がイベントで富山県小矢部市にやってきていて、倶利伽羅古戦場にも足を運んでいたんだとか。

その話を聞いただけでなんか興奮してしまった。

興奮といえば…園内にすごい傾きのサクラが

篠島家頌徳顕彰碑のところにある桜だ。

何があってどんな力が働いてこんなに傾いたのかこれまたミステリーだ。

よく立っているなと思う。しかもちゃんと花をつけているから植物の生命力の神秘だ。

なお、ここ…

小矢部市」らしい

石川県の七不思議には数えられないか…

公園駐車場には倶利伽羅峠のマップもあった

歩いていただけではなかなかわからなかったが、こんな感じで山頂本堂から繋がっていたようだ。

火牛の計から生まれたゆるキャラ「火牛のカーくん」と「火牛のモーちゃん」も脇に描かれている。

これを目にして、この日は「火牛の像」があるところまで行こうと決めるのだった。

 

赤餅を持って火牛の像のあたりへ

火牛の像あたりまで行くともう富山県小矢部市になってしまうので今年はそのあたりまでにすることに決めた。

火牛の像にこだわったのは、金曜日のMROラジオで、その像のことも紹介されていたからだ。

小矢部市に入ってしまうけど、そこは見ておきたいと思ったのだ。

なお、同ラジオ番組では八重桜まつり名物の念仏赤餅のことにも触れていたので、事前に本堂前で買っておいて、それを携えながら向かった。

どうせなら車が通らない道を歩いてみよう

峠マップにも記されていた「倶利伽羅小道」という道を歩いてみることにした。

写真正面に写っている細くて一直線の山道だ。

ここを直進すればそれだけで火牛の像にたどり着く。

旧道感あふれる小道

森林浴ができそうな小道である。

獣への警戒感も発動してしまうが、道はそんなに長くない。

道中、歌碑発見

室町時代連歌の巨匠・飯尾宗祇という人の歌なんだとか。

小矢部市教育委員会の看板に書かれてあった。

この小道を抜けきると…

牛の像のある車道に合流

いわゆる「源平ライン」という道に出る。

この峠道を進んでいくと富山県小矢部市の街の中へと続いていく。

この通りも八重桜がアーチを描くように咲いているから歩いていて、車を走らせていて気持ちがいい。

ここ「源平倶利伽羅合戦の地」という

ここに青木さんと秋元さんもやってきたのだ。

後日だけど、ここの前でお二人が写真撮っているのも見た。

そしてこちらが「火牛の像」

平家十万の大軍を破った「火牛の計」の牛を模した像だ。

当時の人って今より背も小さいから、牛が駆け下ってくるだけで脅威だったと思う。

そのツノには松明をくくりつけてあるって、ビジュアル的に呪いや化け物に見えただろう。

像になっている今では、お子さんを背中に乗せて記念撮影もできる撮影スポットになっている。

津幡町ではゆるキャラにもなっているし、恐さはずいぶんと減ったものだ。

一番の

花見スポットのようにも思える

上や後ろに八重桜が広がって、一番「八重桜まつり」という感じがするのだ。

そりゃ、お子さんを跨がらせて記念撮影もしたくなる。

また、このあたりには展望台もある。

こちら

谷を見下ろせるところだ。

倶利伽羅合戦で知られる「地獄谷」のあたりも見下ろせるんじゃなかろうかと、もちろん自分も上がってみた。

また、これまたラジオで言っていたことなんだけど、このあたりで赤餅を食すことを勧めていたので、しっかり見たかったのだった。

この段階で気持ちよさそうな場所

うむ、良い眺め

地獄谷はこっちのほうだろうか?

逸話を聞くとおっかない地獄谷だけど、眺望としては良い。

とやまビューポイントとして、このあたりの景色は富山県民の貴重な財産とされている。

風も気持ちいいところだった。

ここで赤餅を取り出す自分

やっぱり景色の良いところで食べたいじゃないか。

桜の樹の下で食べている人も何人かいた。これは意見が分かれるところだろう。

ここで食べていたのは自分だけだったが…

いただきます

かぶりついてみたら塩餅

中に餡が入っているとか、果物が入っているとか、そういうのはなく、シンプルに餅だけのモチだ。

いわゆる塩餅だ。

やや硬め、砂糖の甘味はなく米の甘みをほのかに感じながら塩の味を楽しむ餅だ。

なかなか腹持ちも良い。

峠道を歩いて越えるとき、この塩味とボリューム感が疲れた体に役立ちそうな気がしてくる。

昔の人、こういうのを食べながら山を越えていたんだろうかと思いを巡らしてしまう食感であり味だった。

中世の風を感じる…気がしてきた。

この眺望を前に食べることが出来て満足だ。

 

帰りに塚と池も

赤餅も食べれて満足して帰路につくことに。

ただ展望台の近くに、これまた目立つ塚もあったのでそちらにも寄ってきた。

これまた大きな塚が

「為盛塚五輪塔」というそうだ。

倶利伽羅峠の戦いで敗れた平為盛の供養のために建てられたと伝わるものだ。

もともとは小矢部市城山町の旧石動小学校敷地内の塚にあったものだそうで、塚が壊されてからこちらに五輪塔だけ移されたそうだ。

裏から見ると梵字が刻まれている

五輪の塔は上から空風輪、火輪、水輪、地輪が一式として完存するとのこと。

仏教の世界は難しい。

難しかったけど、これを見たあとの桜は…

なんか迫力よく撮れた

八重桜の花びらの層になった一枚一枚がキレイだ。

ここから一番最初の駐車場まで戻ってくると、不動ケ池があることを思い出してそちらも見てきた。

駐車場の真後ろにある

くぼんだところにある。

階段もあるので下りていける。

なんだったらお参りもできる

お堂があって拝むことができる。ここにも不動明王像がいた。

かつては地下水が湧き出ていたそうだが、現在はその様子はない。

ここでもちゃんと合掌できて八重桜まつりをかなり満喫できたと思う。

 

まとめ

以上、八重桜まつりへ倶利伽羅不動寺の山頂本堂へ足を運んだ話である。

峠道から富山県小矢部市まで続いており、展望台や火牛の像は小矢部市にあるので、県を跨いだ形となった。

池がある駐車場からそんなに離れていないとは言え、全部見ようとすると結構歩くことになるし、ちょっとした山道も進むことになるので動ける格好で行くのが良いだろう。

自分としても革の柔らかい靴を履いていって正解だと思った。

いつぞやのように靴擦れにはなりたくない。

山道といえば最初の手向神社の鳥居へと戻ったときに、それを正面にして右手に別の鳥居があることを思い出した。

こちら

ここ、歩いてないし、どこに繋がっているんだろう?と近寄ってみると、なんか壁のように見える急な石段があった。

近寄って見上げる

むちゃくちゃ急で、旧道のような古い石段が見える。

ここ、国見山のてっぺんで見つけてひとまず避けた、あの急過ぎる石段なのだ。

通ってないから一度上ってみたくもなったけど、歩き疲れていたので今回はやはりやめることにした。

それくらい歩く場所なのだ。

八重桜を楽しみながら歩くことで心身も少しは鍛えられた気がする。

お寺のお祭りだなと、あらためて思うのであった。