河北潟には内灘町、金沢市、津幡町をまたいで桜が1000本以上植えられている母恋街道というところがある。
何度か車で通ったことがありながら、サクラの季節に来たことがなかったそこへ改めて足を運び、自分の足で歩いてみた。
河北潟の桜並木
同じ石川県民でも知らないという人がいるが、河北潟には千本以上の桜が植えられた街道がある。
自分も数年前まで知らなかった。車で何度か通ったことがありながらもだ。
通称「母恋街道」と呼ばれていて、病気で入院する母を想う一人の女性の願いから金沢市や内灘町、津幡町、ボランティアが動いて桜の植樹が始まり整備された場所だ。
グーグルマップにも載っている
地図の住所では金沢市湖南町となっているが、内灘町から金沢市湖南町を挟み、津幡町へと続いている。
夏に津幡町のひまわり村へ行ったときや、金沢から内灘町総合公園へ向かうときに自分もよく通っていた道だ。
何度か通っていながら、そこが県内でも有名な桜のスポットであることは数年前まで知らなかった。春に通ったことがほとんどないのだ。
内灘町近辺に住んでいた人に桜の名所を聞くと、だいたいココを教えてもらえる。
今年も教えてもらえたので、あらためてサクラの季節に行ってみることにした。
ほぼ満開の見頃の日が、ちょうど週末に重なったこともモチベになった。
ということでまずは内灘町へ
県道200号線を使い、医科大前を通る大学通りを走ってサンセットブリッジ(内灘大橋)のあたりまでやってきた。
写真は橋を渡った先にある「展望温泉 ほのぼの湯」の駐車場から撮っている。
桜街道へ向かうには写真のつづら折れの峠道みたいなところを下ることになる。
速度が出ていると結構危険なので、運転に自信のない人や車酔いしやすい人を乗せているときはゆっくり降りていったほうがよい。
ちなみにこのほのぼの湯、展望温泉というだけあって、その庭から、何なら温泉に浸かりながら、これから向かう桜街道を見下ろせることができるそうだ。
その片鱗(駐車場より)
駐車場から庭に入ることはできないので分かりづらいけど、ピンク色の植樹されたラインを見下ろすことができる。
さらに余談だけど、夏の花火のときにこの温泉にやってくると、湯に浸かりながら打ち上げ花火を見れるそうだ。地元民の方の情報である。
駐車場があった
サクラの名所となっている母恋街道、長い車道沿いにサクラが植樹されているので車で来て、車で通りながら車内より観賞する人がほとんどだ。
路駐できる場所もあまりないので、自分もそのつもりで峠道みたいなところを下りて向かったのだが、街道に差し掛かってすぐのところで駐車場が設けられていることに気づいた。
このように
内灘町側に、同町がおそらく臨時で設けたと思われる駐車場があった。
10台くらいは停められるような広さがあっただろうか。自分が来た時、ちょうど空いていたいので停めることにした。
写真撮影するにはやはり車を降りなければならない。
この写真でも見てわかるように車で通り過ぎる人がほとんどで、この駐車場を利用するという人はそんなにいなかった。
実際、駐車場がいっぱいになるという瞬間がなく、常に空いていた気がする。
さっそく駐車場近くで撮影
サンセットブリッジや医科大病院をバックに撮影。
咲き具合は80%以上が開いていたので「満開」になるのだろう。
風は強かったが天気が良かったので花見日和だった。
花のほとんどがこちらがわ(金沢方面)を向いていたので、花を正面から撮るならこのように内灘をバックに撮影するのがオススメとなる。
それにしても週末だけあって花見にドライブに来ている車が多かった。
どっちを向いても車が通る
おもに金沢方面から内灘に向かう車線で車の通りが多く、なんだったら渋滞していたときもあった。
母恋街道は3市町に跨って4.5kmもあるそうなので、この桜スポット、車で見に来るのが正解なのだろう。
歩いて観賞
多くの方は車で移動しながら観賞し、助手席や後部座席に座る方々がスマホをかざしてこの満開を撮影していた。
中にはオープンカーに乗ってビデオカメラをかざしながら走っていた人もいたけれど…
でも自分は歩いて観賞してみた。
写真撮影のためにはどうしたって車を下りなければならないのだから仕方がない。
とりあえず歩いてみて、写真を撮って、ある程度撮ったら駐車場に戻って運転しながらこの街道を楽しもう、そんな考えがあった。
この近さは歩いていないと撮れない
サクラはだいたい下を向いて咲いているので、下から撮ると顔を写せる。
車で移動しながらではまず拝めない表情だ。
撮りまくる
自分のように歩いている人は数えるほどしかいなかった。
この道は基本的に車道で、人が歩こうとすると芝の上を歩くことになる。
その芝が真っ平らではなく、やや斜面になっているので決して歩きやすいところではないのだ。
じゃあ車道を歩けばいいじゃないかとなるかもしれないが、この日のように車の量が多いと、それもまたちょっと怖かった。
車道は車ばかり
このあたりから遠くを眺めると、ずっとサクラが続いているのがわかる。
同時に、車の列もずっと続いているのがわかるかと思う。
見頃だからね、これくらい見に来ている人が多かったのだ。
自分以外にも歩く人、発見
希少だ。
歩行者と比べて圧倒的に車で見ている人が多いので、変な仲間意識が湧いてくる。
タンポポ発見
こういうのを撮れるのも歩いている者の特権のようなものだろう。
これもまた春らしい。
タンポポとサクラとサンセットブリッジを
なんとか強引に枠に収めてみた。
でもこうしてみると、車がメインの写真のようにも思えてならない。
どこで撮影していても車が写り込んでしまうのだ。
いっそ、そういうものだと割り切ったほうがいいのかもしれない。
この街道は、桜と車を撮る名スポットなのだと…
車も好きで、最近ではゲームの「GT7]も遊んでいる(このゲームだけは自分を駄目にする)自分としては、それも悪くなかったりする。
GT7内にもいい景色の場所で車の写真を写せる「スケープス」という機能があって自分もよく使うけど、リアルスケープスのように思えてくるのだった。
藤木農園のあたりまで歩いてきた
「ポイ捨て禁止」の看板があるところだ。
歩いていると、ときどき空き缶などゴミが落ちていたりしているのを目にしたので、ポイ捨てはやめたいものである。
この頃になると、いろんな車を目にできるなということに気づいて、車が写り込むことにも抵抗がなくなってきていた。
珍しい車が通ると、むしろ枠内に収めるように撮っていたものである。
道路に車が少なくなった瞬間もある
その瞬間に地面の方から撮影してみた。
こうやって撮るとサクラのトンネルを進んでいるようにも見える。
ライダーもよく見かけた
バイクだとさらに気持ちいいだろうなぁと羨ましくもなる。
このあたりで珍しい咲き方をしたものも
葉桜も同時進行しているような咲き方をした木もあった。
子供時代と成人時代を一緒に進行しているようで、人間でいうと成長期みたいなものだろうか?
そのうちチューリップが植えてあるところに
このように道路沿いにチューリップが植えられているところがあった。
まだそれほど大きくはなっていないけど、これもまた春を感じさせる花だ。
道の雰囲気も急に変わった感じがした。
どの辺りかというと…
ひまわり村へと続くT字路のところだ
ここを曲がると内灘の牛乳ことホリ牧場の「夢ミルク館」があり、さらに進んで津幡町まで行くと「ひまわり村」がある、あの曲がり角だ。
今更だけど「石川県農林総合研究センター河北潟農業研修館」というのもあるらしい。
奇跡の一枚
チューリップと桜並木と車と。
自分の型遅れのカメラ(キャノンEOS50D)でも、こんな写真が撮れるんだね。
特殊なフィルターも使ってません。
この花の名前はなんだろうか?
植物に疎いので自分には分からないが、歩いていていろんな花が咲いていることに気づく。
こういう足元に咲く、雑草に数えられそうなものも撮れるのも歩いているからこそだろう。
なんじゃ、この跡は
ところどころで見受けられたこの跡、おそらくタイヤ痕だと思われる。
車を路駐していた人がいたんだろう。
最初目にした時、ツチノコでも通った跡かと空想してしまった。
ツチノコ、懐かしい。
ちなみにこの道、50km/h制限だ
観賞のために車を走らせている人がほとんどなので、時速50km以上出している人はほぼいなかった。
タイヤ痕もスリップ痕やドリフト痕でないことは間違いないだろう。
つくしも発見
春のオンパレードじゃないか。
子供の頃、摘み取って天ぷらにしたこともあったっけ。
これまた懐かしい。
春ですな
歩けば歩くほど、春らしい景色が見えてくる。
天気も良かったので、この朗らかさを簡単にやめられなくなっていた。
当初はある程度写真を撮ったら駐車場に戻って車でパァーッと観賞すればいいかなと考えていたけど、もうちょっと歩いてみたい、もうちょっと歩いてみたいとの感情が積み重なっていく。
歩けるところまで歩いてみたい、そんな気持ちになっていたのだった。
内灘からこの道を通ると、いつも才田大橋のところで曲がって金沢に帰るので、とりあえず目標をその辺りと定めて歩いていた。
サクラがキレイに撮れてくれる
ちゃちゃっと撮って帰るなんて、ますますもったいなく思えてくるのだった。
車だってキレイに撮れてくれる
見よ、このGT7をやっているような写真を…
と、自画自賛したくなる画が写せてしまえる。
天気がいいって素晴らしい。
あ、パトカー
自分が不審者として見られていないかちょっと心配にもなる。
何事もなくパトカーは過ぎていきましたけど。
それくらい歩いている人が少なく、いたとしてもすぐに引き返していたり、途中の曲がり角で路駐してその近くだけ歩いていたりしている人がほとんどで、自分のように長い距離を歩いている人は、まあ、見かけなかった気がする。
「宝くじ」も絡んでいるそうな
この道を車で何度か通ったことがあるけど、こんな看板に気づいたことはこれまでなかった。
歩くと、車でゆっくり走る以上にいろんなものが目にとまる。
その看板の近くに「速度注意」の看板
これは運転中、否が応でも目にする。
この先が段差になっているので、長いストレートだと思って車の速度を上げていると跳ねて危ないのだ。
ここだ
写真でも道がちょっとした坂になっているのがわかるかと思う。
スピードが出ているとこれがジャンプ台のようになってしまう。
実際に運転してみるとわかると思うけど、ガチで車が跳ねます。
下手したら映画『ワイルドスピード2』の最初のレースみたいになります。
速度注意なのである。
歩いていても…
坂
徒歩で登って降りるのにちょっと気合を入れないと滑って危なさそうなところだった。
むかしスノーボードをやっていたときに小さなジャンプ台をよく跳んでいたけど、それを思い出した。
車だとスピードが違うから、そりゃ跳ぶ。車だって傷つきそうでコワくなる場所だ。
この頃、自分の足が傷ついていましたが…
ずっと平らではない道を写真を撮りながら歩いていたからか、靴擦れが起きていた。
出血もしていたし、何より痛かった。
少し硬めの革のスニーカーだったのだけど、靴擦れなんてかなり久しぶりだ。
さすがにそろそろ歩くのも終わりにしないとなと思った。
目標にしていた才田大橋も見えてくる
段差も過ぎると、さらに先にもう一つ別の段差も見えてくる。
そこを曲がると才田大橋だ。
足は痛いけど、ここまで来たらあそこまで行こうと再び歩くのだった。
名もわからない野花が懸命に伸びている
こういうのを目にすると、自分も頑張ろうなんて思ってしまうのだった。
我ながら単純な性格である。
あ、自転車乗り発見
サイクリングしながらサクラを観賞している人も何人かいた。
タイミング的にこの方を目にした時、そのチャリンコを貸してくれないだろうかと、気持ちが負けそうになったことも、いちおう記しておく。
幹に目印をくくりつけた木も発見
なんのためにくくりつけてあるのか不明だけど、この木の辺りでサクラの香りが変わった気がした。
もしかしたら近くの牧場のニオイなのかもしれないけど、確かに変化したと感じたのだ。
閉じた車内ではまず感じられなかっただろう。
T字路が見えてきた
2発目のこの坂を登ったリップ(ジャンプ台用語)のところでT字路になっていて曲がると橋がある。
そこが才田大橋だ。
その手前の圧し曲がった何もない看板の骨が危険の証?だろうか。
長い坂
そこにもやはり「スピード落とせ」の文字。
一見ゆるそうに見えてもリップ(頂点)付近ではやはり跳ねます。
音もなります
道路にメロディラインのように溝が掘ってあって車が通ると音がする。
危険を知らせる音だと思う。
横を歩いていても車が来たとすぐわかるので体が回避行動を取ってしまう。
それだけ飛ばすと危ない場所だ。
目的地の橋だ
ここも坂になっている。
曲がるときに縮んだサスが跳ね上がる感じになるので、運転していて気持ち悪く、ここも結構コワイ。
ああ、でもやっとたどり着いたんだと思った。
この橋を渡ると金沢の街の方へと向かうのだ。
逆に坂を直進、この写真でいうと左側に進むと津幡町に続く。
この景色
桜並木もこのようにまだまだ続く。
津幡町に入っても続くわけで、併せて4.5kmもあるものだから、さすがにギブアップした。
それくらい靴擦れが、足の痛みが限界に来ていたのだ。
最初は右足だけだったものが、左足も擦れ始めていた。
なんなら右足首にも違和感が…
口惜しいが、ここで引き返すことにしたのだった。
最初に定めた目標はいちおうクリアできたしね。
ここから先はまた来年以降の楽しみとすることにした。
振り返ると、
長い道…
またここを、歩いて戻るのか…
と、ため息が漏れそうにもなりましたけどね…
それでも母恋街道をしっかりと観賞できたので、気持ちは満たされましたよ。
まとめ
以上、母恋街道を桜の季節に歩いてみた話である。
駐車場があることは有り難かったが、まさかここまで歩くとは思わなかった。
距離にすると3km(×2)くらい歩いている。
歩いてみた結果、靴擦れが起きた。
足首にも違和感が出た。なかなかボロボロだ。
やはりこの母恋街道の桜並木は車で通過して観賞するのが正解なのだろう。
歩くなら革のスニーカーではなく、ウォーキングシューズを履いてくればと思った。
ただ、歩いたからこそ気づけたり、目にできたものもあることは確かなので、徒歩のすべてを否定することはできない。
帰っているときに気づいた
電話ボックス
才田大橋に向かっているときは木に隠れて気づかなかったけど、この母恋街道沿いに電話ボックスが置かれていたのだ。
どうやらまだ現役
この携帯電話の時代、なんなら3Gが終わってガラケーも消えていく5Gスマホの時代に、こうして小銭を入れて電話をかけれる公衆電話が残っていることにちょっと感動してしまった。
子供のときによく目にしていたものだけに懐かしさもある。
帰り際にこれに気づけて、帰りも頑張って歩くことにして良かったと思えた。
苦労があると、その分いろんな発見と充実感がある、人生の縮図のような体験をこの街道で出来たのであった。
なお、靴擦れして流血していなかったら、ほのぼの湯に立ち寄って足の疲れを癒やしていただろう。
そういうことはまた来年以降に試みたい。