元ヤンキースの野球選手・松井秀喜さんの出身地である石川県能美市には「松井秀喜ベースボールミュージアム」というものがある。
石川県人で子供の頃に学童野球もやっていた野球好きで、巨人は好きじゃなくても石川の星である松井秀喜選手は応援していた自分なので、そのミュージアムにも過去に何度か足を運んだことがある。
最後に訪れたのは10年以上前だろうか?
先日ふと行ってみたくなったので、久しぶりに来館してきた。
能美市山口町にあるミュージアム
もうすぐ星陵高校も出場する春のセンバツ甲子園も始まったからだろうか、ふと松井秀喜ベースボールミュージアムに久しぶりに行ってみたくなった。
以前は県外に住む野球好きな友人が石川に旅行にやってきたときなどに、石川県の観光名所としてよく連れて行ったものである。
場所は能美市山口町というところにある。むかし能美郡根上町(ねあがりまち)だったところだ。
地図
自分は行きなれているけど、初めて行く人は車のナビがないと、正直迷うかと思う。
ただ、旧根上町へ入ったあたりから、道路沿いの電信柱に「松井秀喜ベースボールミュージアムまで〇〇キロメートル」といった具合に案内広告が何本も貼られているので、そこまでくるとわかりやすかったりする。
到着
このアメリカの政府施設やセレブの家のような建物が松井秀喜ベースボールミュージアムだ。
2005年にリニューアルされて、この建物、この名称になっている。
建てたのはお父さんの松井昌雄さん、このバロック風の建物の設計をしたのは建築士であるお兄さんの松井利喜さんだそうだ。
かつては「松井秀喜 野球の館」という名称で松井さんの生家の隣の建物で営まれていたのだけど、手狭になったことからメジャー移籍後にこの新館が建てられている。
メジャーに移籍したのが2003年なので、現役バリバリのときにすでにこのような博物館が存在していたわけだ。
当時の自分も「まだ引退しているわけでもないのにこんな大きな博物館があるのか」と違和感のような不思議な感覚を持っていたけど、松井さんの現役時代の活躍を考えたら展示するものも多いので必然だろうし、ファンである自分も実際に何度も足を運んでいたものである。
ちなみに旧館は別館になっている
新館の裏に回るとこのように生家が見え、その隣に旧館が別館として残っているのがわかる。
地図もあったのでそれを見るとわかりやすい
第2駐車場になっているところがかつて三角ベースを楽しんでいた場所なんだそうだ。
三角ベース、懐かしい。自分も子供の頃によくやっていた。
ここで三角ベースをやっていたのか
今ではキレイに整備されている。
過去の写真パネルを見られるベンチも敷地内にある
原っぱだ。
ファンとしては感慨深い。
このようなベンチは敷地内のほかにもあり、そのどれもが松井さんを振り返ることができるので面白い。
建物の正面左側には甲子園のベンチも
これ、2007年まで阪神甲子園球場のダグアウトベンチとして実際に使用されていたものだそうで、甲子園球場改装にともない2013年10月にこのミュージアムに寄贈されたそうだ。
松井さんと甲子園と言ったら、語りぐさとなっている5打席連続敬遠がすぐに思い浮かぶ。
連続敬遠されても腐らずに受け止めていた姿は、子供心に衝撃的だった。こういう大人になりたいと思ったものである。
松井さん、その頃まだ高校3年生で当時の法律だと成人(大人)ではなかったんですけどね。
その隣には最近のパネルも
2018年、第100回甲子園のときのレジェンド始球式の写真パネルだ。
いまヤクルトスワローズにいる奥川くんも2年生のときに出場していた夏の甲子園のときのものだ。
奥川くんも応援しているから、自分の中でいろいろとリンクして見ていてニヤニヤしてしまった。
松井さんが暴投したのも、もちろん覚えている。
こういったものは、以前来た10年近く前にはなかったものだ。
ベンチの前には「ドリームアース」
こちらは2005年、新館が建った頃からあるので自分も覚えている。
松井さんの母校、能美市立浜小学校の児童たちが描いた「ボクと私の夢」という絵から選ばれた数点の作品がこのモニュメントに埋め込まれている。
あらためて正面に
松井秀喜さんの子供の頃の像がお出迎え。
ここに初めてやってきて、この像を目にしたときは正直笑ってしまったけど、何度も見ているとそのうち愛着が湧いて、いまでは神々しくも見える。
大きな夢を果たした始まりの姿だ。拝んであやかりたくなるのだ。
博物館の中の様子
では中に入ってみよう。
久しぶりなので、自分としてもちょっと緊張してしまった。
営業時間は9時から17時まで。入館は16時30分までとなっている。
定休日は火曜日で年末年始も休業している。
ただ、GWやお盆、年始には火曜日でもオープンしているそうだ。
入館料は一般400円。小・中学生は100円。園児と幼児は無料だ。
団体割引もあるようだ。
いざ、中へ
ヤンキース時代のユニフォーム姿の蝋人形がお出迎え。
でかいのでちょっとビビる。
握手できるブロンズ製の「手」もあるので握っておこう。
左に写真が飾ってあったのだけど、ヤンキース時代のチームメイトで友人でもある”キャプテン”デレク・ジーターさんもこのミュージアムにやってきたことがあるようなのだ。
ファンとしてはシビれる。
この蝋人形の右側に受付や売店があり、そこまでは入館料無しでもやってこれる。
写真奥の矢印で記された「展示場」に入るのに入館料がかかるのだ。
展示場の中はこのようになっている
少年時代や星稜高校時代、巨人軍時代やメジャーリーガー時代とコーナーで別れて展示されている。
一応、写真撮影はOKなのだけど(ただしフラシュ撮影、動画の撮影は禁止)、実際に足を運んで目にしてもらいたいので、今回の記事では写真の羅列は少なくしようかと思う。
記念撮影ができる蝋人形も館内にある
これもまたでかい。
特に横顔がご本人に似ているので、館内が暗かったらここでもきっとビビるだろうなと想像してしまう。
その隣には旧ヤンキースタジアムの外野ラバーフェンスや観客席のベンチも置かれていた。
実際に使用されていた備品だそうだ。
実際のものといえば旧ヤンキースタジアムのロッカールームも
松井さんが6年間使用したロッカールームも展示されていた。
名門ヤンキースでも1軍でい続けた証なんだよね。
ジーターさんも家にあるそうだ。
ジーターさんといえばチャンピオンリングのエピソードも
2009年のワールドシリーズで日本人初のMVPに輝いたトロフィーと、ワールドシリーズチャンピオンリングも展示されている。
左側のリングが本物で、右側のものはジーターさんがイタズラで用意した偽物のリングなんだそうだ。
ワールドシリーズを制覇したあと、惜しまれながらもヤンキースを去った松井さん。翌年、ヤンキースと移籍先のエンジェルスとの初戦でリングの贈呈式も行われたんだけど、エンジェルスのユニフォームを着た松井さんのもとへヤンキースのメンバーが駆け寄ってきた光景には目頭が熱くなったものである。
そのときの裏エピソードとして、贈呈式で松井さんが最初に受け取ったリングは実はジーターさんが用意したイタズラ目的の偽物だったそうで、それも飾られてあるのだ。
ほんと、仲いいね。
引退した後の展示物としては国民栄誉賞のものも
2013年に恩師である長嶋茂雄さんとともに受賞した国民栄誉賞の展示物だ。
「三尺下がって師の影を踏まず」じゃないけど、長嶋さんの数歩後ろを下がって歩いていたのをよく覚えている。
国民栄誉賞をもらっても、師を敬い、傲らない姿が人格者だ。
そのとなりには2018年の野球殿堂入りの展示物も
最近のものもこのように展示されている。
自分はこのニュースをリアルタイムで見れていなかったので、ここでしっかりと知れた。
ここでのコメントもやはり謙虚なもので、松井さんらしいなと思った。
ほんと最近のものでは昨年の東京オリンピックの聖火リレーのものも
TOKYO2020(実際に開催されたのは2021年)の、長嶋茂雄さん、王貞治さんとともにリレーしたときの衣装やトーチが展示されていた。
国民栄誉賞や野球殿堂入りのものもそうだけど、こちらも以前来た10年くらい前にはなかったものだ。
ミュージアムの展示物も年々更新されているのがわかる。
今後、松井さんが監督になったりして、指導者としての活躍も増えていくと、このミュージアムの展示物もさらに増えていくんだろうなと思われる。
そう考えると、やはり定期的にやってきたいものだと、そう思った。
松井さんの言葉
館内を歩きながら、自分はどうしてこのミュージアムに久しぶりにやってきたいと思ったのか考えていたのだが、回っていてその答えがわかった。
最近、職場での人間関係等で疲れて腐ってしまいそうになることも多い。
そういうときに松井さんの立ち居振る舞いや言動を改めて見聞きすると、励まされてくる感覚があった。
そうだ、このために来たのだ、と。
館内にはこんな展示もある
「僕が心の糧としてきた言葉」というコーナーだ。
本人が発したり記したりした言葉を含め、滅入っているときに聞きたくなるようないい言葉が並んでいる。
また、ここだけではない。
お父さんから教えてもらった「努力できることが才能である」といった言葉など、館内の色んな所で松井さんが大切にしていた言葉を目にすることができるのだ。
チームのために活躍していた姿、5連続で敬遠されても腐らなかった姿、ワールドシリーズでMVPになっても、国民栄誉賞をもらっても傲らない姿、一日特別契約で引退をヤンキースの選手としてできたファンに愛されたナイスガイな姿、野球での活躍だけを見ても超一流なのに、人間としても尊敬に値する。
それらを振り返ることができる展示物を改めて目で見て言葉で知ることで、自分自身の心を整えられるのである。
松井さん自身、怪我などもあって決して順風満帆という野球人生ではなかったけれど、だからこそ共感して感じ入るものもある。
館内では「松井秀喜と野球」という4本のオリジナルムービーも見れる
4本あわせて60分以上ある映像だ。
自分はこの映像の音声を聞きながら館内を回っていた。
一周したときには同じ映像が流れていたので、60分以上、このミュージアムにいたことになる。
展示物もそうだが、この映像も、見ていてなんだか泣けてくる。
そうしてやっぱり励まされてくる。
明日も頑張ろうと、そう気持ちを強く持てるのであった。
松井秀喜さんはやはり石川県民の星だ(日本人の星かも知れないけど)。
人生で腐ってしまいそうな瞬間っていくつもあると思うけど、そういうときにまたこのミュージアムへ来たい。
帰り際に気づいた玄関脇の「ヒデキくん」
なんか、なごむ。
星稜高校の野球部の皆さんも、春のセンバツ甲子園、頑張ってほしい。
世の中の色んな分野での新人さん、5月病なんかにも負けないでね。