奥能登国際芸術祭2020+にて珠洲市の若山町吉ヶ池に行った際に作品の展示場所のすぐとなりに石上棚田神社という神社があった。
どんな狛犬がいるか興味があり、そちらも参拝してきたので、狛犬の写真を中心に記したい。
「黒い雲の家」のすぐとなり
以前、当ブログでも記したが、奥能登国際芸術祭2020+の若山エリアにカルロス・アモラレス氏による「黒い雲の家」という作品が展示されていた。
紙で作られた黒い蝶が部屋の中に2万匹くらいいた作品だ。
(「黒い雲の家」の記事は→こちら)
こんな場所に展示されていた
展示場所は若山町吉ヶ池にある空き家だったのだけど、その家の隣の駐車スペースに車を停めた際、目の前に神社もあることに気づいた。
駐車スペースより
展示場所である空き家をこうして横から眺める位置に皆さん駐車していたので、自分もそれに倣ってこちらに停めていた。
この写真の方向から右手に目を向けると…
神社が目に入る
決して大きな神社ではないが、長い石段とその先に石造りの鳥居が見え、さらにその脇には狛犬らしきものも座っているので、そこが神社だとすぐ気づいたわけだ。
狛犬写真家を自称しようかと目論む自分としては、どんな狛犬がいるのか気になったわけで、芸術祭の作品を鑑賞し終わった後に、この長い石段を上ってみたのだった。
急な石段の先の狛犬たち
神社の名は「石上棚田神社」というそうで、石段の前に置かれた竹でできた柱に「石上棚田」という文字が筆で書かれてあった。
石段を前にする
前にしてわかったけど、傾斜が結構に急だ。
社も鳥居も見上げる位置にある。
実際に上ってみると、一つ一つの石段の幅も狭いので角度のきつさを目で見る以上に実感する。
雨が降ったあとでもあったので滑りやすく、踏み間違えて転げ落ちてしまうんじゃないかとそんな恐怖もあったくらいだ。
見上げると鳥居に神社名
こうして見上げてこの神社の名前が「石上棚田神社」だということをこのとき初めて知った。
そうして背中を反るように見上げたものだから、ここでも転げ落ちそうな恐怖があった。
この石造りの鳥居の脇に狛犬がいる。自分のルールとして狛犬をなめるように鑑賞する前に、まずは参拝をしておきたい。
ということで先に上まで
こちらが拝殿。
扉が閉じられていて、賽銭箱とかも出ていなかったけど、二礼二拍手一礼を先に済ませた。
ご覧のように小さな神社だ。
神主さんもどこかの掛け持ちで常駐していないのだろう。
小さいが、それでも年季を感じさせる社だ。
なんでも神社そのものは明治時代からあるそうだ。
それくらいからある神社だと狛犬も古いものなのだろうと期待してしまう。
では戻って確認
こちらが口を閉じた吽形。
右側にいるコチラは
口が開いた阿形だ。
蹲踞(そんきょ)している、いわゆる「おすわりタイプ」ながら、その顔を見ると、昭和後期以降、現代でよく見られる「岡崎型」とは違う。
岡崎型は耳がだいたいツンとしているんだけど、こちらは「出雲型」のように耳が垂れている。
出雲型と言ったらお尻を上げた構え獅子のタイプが有名だが、出雲型でもこうしてお座りしている蹲踞タイプもあるのだそうだ。
近づいて別角度から
目が大きいところも出雲型の特徴ながら、この吽形、二重瞼のようなので、一重瞼が多い出雲型と比べるとちょっと違う気もしてくる。
とはいえ、狛犬は彫師によって個性が出てくるもので、同じ系統、タイプのものでもどこか違っていて当たり前だ。それがまた鑑賞する上での楽しみでもあるので、自分としては却って嬉しい。
閉じた口元もニンマリとしているようで可愛らしいやつだ。
阿形も別角度からアップで
白カビのようなものが付着していて年季を感じさせるけど、その瞳、眉、歯までも綺麗に残っているので状態がかなりいい。
その口には玉のようなものも咥えている。
面白いのはこちらは瞼が一重に見えるところだ。阿吽で統一していいないところが捻っていて、見ている分には唸ってしまう。
開いた口元、歯が揃っている分、ゴジラのようにも見えるけど、こちらもスマイリングで愛らしい。
爪先もチェック
こちらも状態がいい。
爪なんか形そのまま残っている。
尖って引っかかれると痛そうなのに、これだけきれいに残っていると肉球まで想像できて、お手させてそのプニプニ具合を生身で確かめたくなる。
やはり、可愛らしい奴らじゃないか。
感想
奉納されたのは昭和二十四年八月
昭和初期のもののようで、やはりそれなりに古い。
これが昭和後期になると、もう岡崎型ばかりになってくるので、レアなほうである。
そのレアさ故にか、可愛らしく見えてしまう。
出雲型の尻を上げているタイプは威嚇しまくっているけど、その顔はどちらかというと愛嬌があるので、その顔でお座りしているとナデナデしたくなってくる。(壊れると嫌なので実際にはしませんが)
でも、可愛い顔して恐ろしいところにいる
狛犬のいる辺りから見下ろすと、石段がますます急に見える。
上ってくる参拝者を狛犬たちが見下しているようでもあり、急な石段をちゃんと上ってこれるのか監視しているようでもあるので、偏に愛くるしいだけでは片付かない狛犬たちでもあった。
その愛嬌を拝みたくば、この急な石段をしっかり登らなければならない、なんて試練を課されているのかもしれない。
世の中、楽しさもあれば苦もあるものだ。六道のうちの人間道を改めて教えられた気分でもあった。