石川県内まん延防止等重点措置が適用されていても作品を限定しながら開催された珠洲市の「奥能登国際芸術祭2020+」。
9月5日に引き続き、その2週間後の9月19日(日)にもマイペースに足を運んだ。
第二日目である。
この日に鑑賞した作品をまた順に紹介したい。
その1である今回は当日最初に足を運んだ「スズ・シアター・ミュージアム『光の方舟』」についてまとめる。
大谷エリアへ
珠洲市は9月19日の三日前、16日(木)に震度5弱の地震にみまわれている。
コロナ禍だけでも厄介なのに、さらに地震まで来て奥能登国際芸術祭に絶望しかけたけれど、幸いにも怪我人も大きなインフラ被害もなく、公開作品にも損傷がなかった。
余震の心配もあったものの、その日からツイッターやニュース等で最新情報をチェックしていたところ、余震がずっと続いているという話は聞こえてこなかったので、19日に珠洲市へと出かけることにしたのだった。
日本列島を台風が横断していた頃でもあり、天気と地震の情報を朝に改めて確認して金沢市の家を出たのが9時半くらいだったので、少し遅めの出発であった。
珠洲市に到着したのも正午だ。
今回、最初に立ち寄ったのは大谷エリアである。
前日の台風の影響による雨が嘘のようにその日は快晴で、地震の被害もほとんど見られなかったからか、市外、県外から来ている多くの車、ライダーがその大谷エリアの道路を走っていた。
皆さん考えることは同じなようである。
大谷エリアへまず向かったのは、前回の続きという思いのほかに、この日の一番の目標を作品番号2番の「スズ・シアター・ミュージアム『光の方舟』」に定めていたからでもある。
ここは検温スポットでもあるので、鑑賞旅の始点にしやすいのである。
旧西部小学校の体育館前で検温
スズ・シアター・ミュージアムは旧西部小学校(珠洲市立)にある。
カーナビにも乗っていたので向かいやすかったが、その手前で急な坂を登る必要があるので芸術祭の案内の人(誘導員)がいなかったら車のすれ違いで苦労していたと思う。
西部小学校跡地の碑があった
平成28年に小中一貫教育が始まって、西部小学校が大谷中学校に併設されたことによって、この場所が小学校として使われなくなったそうだ。
検温スポットがある
手順は第一日目で記したときと同じだ。
ただ、自分は2週間前(第一日目)に使っていたリストバンドを持っていたので、現在の体調に関する問診票(紙)に記入するだけで済み、その紙を持っていくことで新しいリストバンドをもらえた。
前日や前回のリストバンドを持っていくと、手続きの手間が多少省かれるのだ。
パスポートを持っていないと入館料がやや高い
鑑賞パスポートを持っているとお金はかからないが、持っていないと大人800円と書かれてあった。
他の作品の個別鑑賞料は大人300円なのだけど、ここ「スズ・シアター・ミュージアム」だけは倍以上払うことになる。なかなかいい値段だ。
なお、「大きなカバンやリュックなどは持ち込みをご遠慮ください」とも書かれてあった。
ここ、芸術祭開催日初日に、展示されている「大蔵ざらえ」で集められた古民具の一部が盗まれるという盗難事件があったので、こんな張り紙もなされていたのだ。
後日犯人は見つかり、盗難にあった古民具も戻ってきたようである。
2番 スズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」
旧体育館が世界初の劇場型民族博物館に生まれ変わっていて、その館の名前が「スズ・シアター・ミュージアム」と呼ぶ。
ということでこちらが旧体育館
英語で「SUZU THEATER MUSEUM」と書かれてあり、その下にもさっそく古民具がいくつか置かれていた。
珠洲の家々に残されている古民具や地域の財産を集めたことを「大蔵ざらえ」というそうで、そのプロジェクトで集められた古民具を民俗、人類学、歴史学等々のジャンルで分類しアーティストによって作品として生まれか変わらせ展示してあるのが、このミュージアムというわけだ。
杵とかも並んでいた
「昔とった杵柄」という言葉が個人的に好きなので、自分はこういうのに反応してしまう。
大八車も置かれていた
大八車を見るたびにファミコンのゲーム「くにおくんの時代劇だよ全員集合」を思い出してしまう。
館に入る前から変なところでワクワクしてしまって妙な期待をしてしまう自分がいた。
自分が入る時、結構並んでいた
感染防止対策もあるし、中が劇場のようにもなっているので、入場できる人数を制限しているようだった。
2番だ
南条嘉毅、阿部海太郎、大川友希、OBI、久野彩子、世界土協会、竹中美幸、橋本雅也、三宅砂織と、作者名が9名分ある。
それぞれが古民具で作品を作っているようで、それらによってこのミュージアムが形成されているようだ。
順番が来て入館
パスポート用のスタンプは、ここでは係の人に預けて押して貰う形式を取られていた。
パスポートでも一人一回しか入れず、二回目以降は別途料金がかかるようである。
写真撮影はOKでもフラッシュ禁止
案内板にも書かれてあったように、館内の作品に触れることはできず、また動画の撮影はしちゃダメなようだ。
早速入っていく
ご覧のように中は決して広くはない。
体育館の中が大きな舞台のようにもなっていて、作品と作品の仕切りが普通の博物館や美術館と違いちょっと独特だった。
ちなみにこの最初の通路にも古民具が展示されている。
自分は博物館や美術館で展示会を鑑賞するとき、じっくり説明書きまで細かく全部観てしまう性質なので、混雑しているとどんどん追い抜かれてしまっていた。
漁具や農具が最初の通路に展示されていた
なんだこれは?となったこちらは「ヤス」という名の漁具だ。
水中の魚介類や海藻類を捕獲したり採取する道具なんだとか。
農具ならまだわかるけど、漁具はあまり見たことがないので新鮮だった。
これ「浮子(うき)」なんだって
むかしは樽も浮子として使っていたようだ。知らなんだ。
いまこうしてみると、現在のプラスチック製のやつより格好良く見えるのは自分だけだろうか。
地図発見
8組の作者・団体による8つの作品が展示されているのがわかる。
中に入ってしまうとどこから見てもいいので、作家ごとのエリアで混雑しているようなら後回しにして観れば良い。
実際、自分も1番から見ようとしたけど、狭くて順番待ちになっていたので地図上の2番から見て回っていた。
順に見て回る
最初に見れたのがこちら
大川友希さんの「待ち合わせの森」という作品で、次の祭りを待って眠っていたキリコによって作られている。
屋根裏まで装飾されている
灯籠部分周りだけでなく屋根裏にもきれいに装飾されている。
祭りの紐も何本も結われていて、全体的に森の精霊みたいな様相をしている。
この紐、何千本と使われているんだそうだ
地元の方が説明してくれていたんだけど、2000本とも聞こえたし、1万本とも言っていたように聞こえたし、まあなにせがすごい数だ。
これ一本一本にキリコ祭りに参加する人たちそれぞれの想いが込められているようで、その人達の表情が思い浮かんでくるようである。
精霊というか、その土地の神様みたいに見えてきた。
代わってこちらはOBIの「ドリフターズ」
通路を進んでいくと、舞台の座席の下に当たる場所にこのように生活民具が並んでいた。
主に食事関わる道具だ。
定期的に照明がついたり消えたりして、横丁のような雰囲気があった。
食事処の電飾看板が特にその雰囲気を
こんなものもよく残っていたなと思う。
これが点灯するたびに横丁にワープしたような心地がした。
食器が博物館に流れ着いたドリフターズ(漂着物)との説明書きがあったけど、観ている自分たちこそが横丁に流れ着いたドリフターズに思えてきた。
真ん中のエリアへ
扉を抜けると中央にでる。
南条嘉毅さんの「余光の海」という作品になるんだけど、砂が敷き詰められていて舟やら桶やらが浮かべられていた。
あとにも記すが、ここは特殊な照明(映像)が当てられ、音も流れて劇場のようになる。
照明のおかげで海のように見えてくる
背後にはたくさんの民具。
大蔵ざらいの際、それら民具に紛れて帳面も見つかり、その帳面に俳句や和歌も記されていたようで、そこからイメージされたものがこの風景のようだ。
砂浜にあるピアノっていい情景だ
ストリートピアノでも実際にはなかなか見かけられないので詩的である。
暗さの具合と照明とのバランスのおかげで撮りたくなる。
光っている小屋みたいなものは竹中美幸さんの「覗いて、眺めて」
こちらは大蔵ざらえで見つかったある人物の日記からインスピレーションを受けた作品なんだとか。
後方の体育館のステージにも映像が浮かび上がっていて、本来は書いた本人だけが読むリアルな日記の世界が夢の世界のように浮かんでいた。
まどろむ世界
いまではSNSの発達のおかげで日記も発信して知らない人とも共有する時代なので、手帳等に手記した書いた本人だけが読む日記ってたしかにレアかもしれない。
自分は小学6年生のときに学校の宿題で毎日日記を書いていたけど、自分以外の誰か(この場合、担任の先生)に読まれるものだと思って書いていたので、日記が自分だけのものだという考えはあまりない。
その日記の延長がこのブログだったりするとも考えている。
こうやって日記の世界観をキレイにアートとして捉えてくれるなら、自分だけの日記というものも書いてみたくもなった。
たぶん、ポエムみたいになりそうだが…
こちらの部屋は三宅砂織さんの作品
「The missing shade 59-1」「Seascape Suzu」「Untitled」という3つから構成されているんだけど、部屋に入る前からかなり暗くてカメラ泣かせだ。
部屋に入っても基本的に暗い
左の縦長のものが「Seascape Suzu」のようだけど、ゴジラ岩ですな、これ。
奥の壁には木造船の部材があしらわれて、そこに映像を流している「Untitled」というもののようなんだけど、フラッシュを使えないカメラではご覧のようにまあ、捉えづらい。
タイトルが無名なんだからそれこそ勝手に解釈させてもらうと…
塩の結晶を投影したと思われるその映像がシューティングゲーム「ゼビウス」の爆弾で破壊できるブロックみたいに見えてきて、ゼビウスが夜間飛行していたらこんな感じなのかなと浪漫飛行な妄想をさせてもらった。
さらに進むと久野彩子さんの「静かに佇む」
こちらもかなり暗い。
この額縁の説明書きを撮影するだけでも暗すぎてオートフォーカスがなかなか働いてくれないから焦る。
中はココ1の暗さ
桶とか梯子とか鍬や鋤とか、農具のようなものが置かれているんだけど、裸眼でも基本的によく見えない。
自分は鳥目(夜盲症)の気が少しあるので、歩くのも大変だった。
ほんのり光る灯りを頼りに近づいて、その灯りに向けてオートフォーカスを働かせていた。
鍬の陰が伸びていて光線のよう
暗くて見えづらいけど、見える光はハイセンス。
その明かりに照らされる…
金属の小さな農夫
かつて北前船の寄港地として栄えた町の風景をこの小さな金属のオブジェたちで描いているそうで、これだけではない。
家があったり
分かりづらいものもあったり
街の歴史の過去の姿を重ね合わせるもののようなんだけど、鳥目の気がある自分にはどれも希望の光、未来への光に見えた。
過去の遺物が未来を作るって、このミュージアム、さらに言えば奥能登国際芸術祭そのものを指しているようでもある。
吸い込まれそうな光の穴、発見
自分がフィギュアサイズに小さくなって探検したくなる。
ドラクエ的に言うと裏の世界につながっていそうである。
再び体育館内中央の方へ
舟があった砂の、その後方に見えた棚に近づいてみた。
昔の白黒テレビなんかも置かれていた。
なんでも農協テレビというそうで、今の富士通ゼネラルが「ゼネラル」という名で製造していたんだとか。
なお、棚の前がベンチのようになっているのは、そこが観客席になるからだ。
柱時計
雰囲気があって撮りたくなった一品。
時刻、これ合っているんじゃないかな。ということは、これも現役で動いているんじゃなかろうか。
まだまだ使えるなら欲しくなる味わいだ。
これって行商用だろうか?
葛籠(つづら)とか、現代ではなかなか目にしない。
おとぎ話「舌切り雀」の挿絵くらいでしか目にしないし、現代っ子が見たら「何?これ」って多分なるだろう。
その際は「妖怪を封印しておくカゴだよ」と、テキトーなことを教えてあげたい。
扇風機、なつかしい
うちのじいちゃんの家にもあったような気がする。
ガードの隙間が大きくて簡単に指を入れられるから危ないんだけど、子供って馬鹿だから試しに指を入れてしまうんだよね。(ええ、自分もそうでした)
羽根はカミソリじゃないしプラスチックなので指が切れたりはしないけど、なかなか痛い。
ラジカセも懐かしい
カセットテープも、現代っ子は知らないかもしれない。
テープだと音が太い。
あの音の太さはデジタル音源ではなかなか味わえないんだよね。
さらに進むとこんなものも
地図によると、こちらOBIの「ドリフターズ」の一部のようだ。
神事や結婚式とかで使う御膳が積み上げるように置かれている。
特に裏側から見るとかなり高い
見上げるくらいの高さなので、料亭のスチュワード(食器管理部門)の倉庫にいるような気分になった。
こちらは世界土協会の「Soilstory -つちがたり」の入り口
小さな部屋の中にあり、入口に一番近いこともあって、ご覧のように並んでいる人が多かった。
密になることを避けるために順番待ちする必要があったけど、先に別のところを周り、タイミングが合うとすんなり入れたりする。
入ってみるとたしかに狭い
説明書きには「パンデミックで生じた人の距離感を念頭に、共に有する願いを物語りとして、未来の社会のあり方を問う」とあったけど、この狭さなら距離感、縮まります。
枝の生えたこの舟盛り用の舟、面白い
どっかの誰かの趣味の部屋みたいな印象なんだけど、よくよく見てみるとセンスがちょっと人と違う感じがしてシュールに見えたりもする。
透明の筒に何を入れてんだろ?
キリコ祭りの紐だろうか。
森の精霊みたいだった「待ち合わせの森」の材料がこんなところでこんな形でストックされている…
そう想像すると秘密のラボみたいに見えなくもない。
生命体?
こんな部屋だからか、何でも怪しく見える。
っていうか、ラボラトリーって書いてあるじゃないか
秘密とは書いてないけど、秘密のラボに認定!
想像力がたくましくなる一室だった。
舞台のような「余光の海」を鑑賞
ミュージアム中央に設けられた南条嘉毅さんの「余光の海」は、定期的に映像が照射され、舞台のような演出が始まる。
館内を一周りした頃にその演出が始まったので2階から鑑賞してみた。
2階に上がるとキリコが床を突き抜けている姿を目にできる
先にキリコを体育館に運び込んで、後から床を作ったんだろうなと設置の風景を想像してしまった。
キリコを尻目に中央に目を移すと暗くなってきた
「覗いて、眺めて」の演出が始まり、さらになにか始まる予感が会場内にひしめき始めていた。
というのも、お客さんの殆どが、スタジアムの観客席のような中央を囲む座席に座り始めたのだ。
このように
プロジェクターも始動し、砂を敷き詰め、舟が置かれた中央に映像を照射し始めた。
「余光の海」が始まるのである
この説明書き、2階のコーナーに置いてあったんだけど、2階から観るのがこの作品の正しい見方ってことなんだろうか?
上から見るとこんな感じで見えるんだよね
高いところにある座席からもこのように見えると思うのだけど、説明書きがあったコーナーからだと海を上から覗き込むような、俯瞰アングルだった。
キレイな分、荒れ狂う海に吸い込まれそうでもあったけどね。
沈没してしまう…
からの…
月、昇る
スモークとかも発射され、舞い散る雪のようなものも演出されていた。
もしかしたら雪じゃなくて、海底へと沈殿していく何かであって、月と思ってみていたものは、沈んだ先の海の底の暗いところから見上げた太陽だったのかもしれない。
助かったのか、沈んだのか、それは見た人によって受け止め方が違うのだろう。
音楽も流れているので、曲の雰囲気から受け止めるのもアリだと思う。
自分としては古いテレビから映像が流れていたことが一番衝撃的でしたけど
助かったのかそうでないのか、荒れ狂う海のストーリーをよそに、棚に置かれていた農協テレビ等々の古いテレビが光って、そこに映像(もしかしたら画像かもしれない)が流れていたことに興味津々になってしまっていた。
あれ、現役じゃないか。
むかし「テレビ探偵団」って番組があったなぁ、なんて関係ないことを思いだして一人懐古的な世界にふけっていたことは秘密である。
体育館外で食事
この棚の右手にある扉を抜けると出口
橋本雅也さんの「母音/海鳴り」が置かれている通路を抜けるともう出口である。
入り口とは別にあり、入り口から帰ろうとすると「出口ではありません」と言われるので注意したい。
外の明かりが見える
蚊帳のような網(磁石でくっついている)で仕切られているのでちょっと戸惑うけど、ちゃんと通り抜けれるのでここが出口で正解だ。
出口に置かれていた何か
これも作品「母音/海鳴り」の一つだろうか。
最後までアートを忘れさせないところだ。
出ると日本海(外浦)がお出迎え
薄暗いとこにいたせいか、晴天の空と海がすごく明るく見えた。
水平線もくっきりだ。
高いところにある旧小学校なので、いい眺めだ
適度に吹いた秋の海風も爽やかで、心身ともにデトックスしたような心地よさがあった。
いいところじゃないか、珠洲。
更に進むとテントの下に座席が設けられていた
その椅子と机で食事をとっている人が数組いて、どういうVIPなんだろうとそれらの席を一瞬羨ましく思ったけど、誰でも座れる。
スズ・シアター・ミュージアム、その体育館前に毎日キッチンカーが来ているそうで、海を前に食べれるのである。
カーというかテントですが
お店が出ている。
ピザだったり能登牛を使ったお弁当だったりが売られていた。
ワンちゃんいた
かわいい。
看板犬の「コロ」ちゃんだそうだ。
日によって会える日と会えない日があるみたいなので、自分は運がいい。
もうここで食事するしかないと思った。
ということで、シーフードピザを注文した。
一枚1100円。
丑年だから今年こそ能登牛を一度食べてみたいという欲求にも駆られたが、「珠洲で水揚げされたシーフード」という文字に惹かれてピザにした。
窯で焼いてもらっている間、机で待機
机も椅子も小学校で使われていた木とアルミパイプのもので、小学生サイズだから大人の自分にはやや小さかったが、それがまた童心を思い出せてよかった。
快晴で、近くに海が見えて、風も爽やかなもんだから、ずっとボォーとしていたくなるところだ。
ピザ到着
まったりしていたところにやって来た。
ピザって素手で食べるものだけど、感染症の問題もあるからか割り箸も渡された。
いただきます… 箸で
箸でピザはあまり経験がない。
耳の部分を箸で掴んで、三角形の先端の方から口に運ぼうとすると、これがまた難しくて、おかしくて、一人でツボにはまってしまっていた。
乗っかっていた白身魚、白身なのにノドグロなみに脂ギッシュでうまかった。
高台から海を眺めてまったり食べるシーフードピザ、たまらん。
海ってエンジョイするところと言うより、バカンス(のんびり)するところだよなと、食べながら再確認した。
感想
以上、9月19日(日)にスズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」を観に行った写真のまとめだ。
自分は美術館とか博物館とかの展示会に行くと、マイペースに隅々まで見て読んでしまって長い時間その会場にいてしまうんだけど、案の定というか、この「光の方舟」でも長居をしてしまった。
食事を合わせると2時間以上いた。
まとめたこの記事も気がつけば8000文字を超えている。
考えてみればミュージアム内だけで8作品もあるのだから、それら全てに勝手な解釈を持って写真を撮って、こうして並べていたら、そりゃ容量も増えるというものだ。
逆に言うとそれだけ見ごたえがある場所だということだ。
見ごたえがあるのに、展示されているものは蔵から出された使われていなかった古民具ばかりというんだから、芸術というのは懐が深い。何でも作品になる。
グラウンドから眺めた外浦(日本海)なみに広くて深いんじゃなかろうか
光の方舟か…
たしかに芸術の海を漂っている舟のような博物館だったように思う。
次回は、この外浦沿いで鑑賞可能だった作品を中心にまとめたい。