駅から眺められたのは縄文…
廃駅の旅、19回目だ。
縄文が頭につく旧駅への行き方
のと鉄道の旧能登線を中心に使われなくなった駅へと足を運ぶ個人的な旅もこれで19回目だ。
前回の小浦駅の次の駅にあたる縄文真脇駅へと向かった。
能登町真脇というところにあり、「真脇」は「まわき」と読む。
能登線がまだJRだった頃は「真脇駅」という名称だったそうで、第三セクターののと鉄道へ移管した際に「縄文真脇駅」と改称されたそうだ。
なぜ頭に「縄文」と付いたかと言えば、1980年代にこの駅の近くで縄文遺跡が発見されたからで、今でもこのあたりは遺跡の町として知られている。
その行き方は、前回の小浦駅同様に県道35号線(能都内浦線)を使うのが定石かと思う。
近くに「縄文真脇温泉口」という北鉄のバス停もあるのでまずはそこを目指すのも良い。
ここで地図
県道35号線を能登町から珠洲方面へ進んでいると、しばらく海の横を走ることになる。
その「海の横」が終わりを迎える頃、バス停が見えてくる。
縄文真脇温泉口のバス停
このあたりで県道が左に湾曲して海側から町や山のほうへと入っていくことになる。
左にカーブしていくとすぐに交差点が現れるので、そこで前進する道を選ぶと旧駅前通りに入っていくことになる。
縄文真脇交差点
それまで走ってきた道と比べると細い道になるが、矢印が指し示す道がそれだ。
こんな道
ここを真っすぐ行って突き当りに目的の廃駅がある。
そんなに距離はない。
駐車場らしきものもないので、車で来た場合は路駐することになる。
突き当り
右に曲がれば公園や温泉と書かれた看板があり、その左脇にちょっと坂になった小道がある。
車では上がれなさそうなその小道の先がもう旧駅のプラットホームだ。
いまの縄文真脇駅
坂を上がってすぐこの看板
自分の中では、能登町にて廃駅がそこにある証として認知しているこの看板。
駅前通りを進んでいる途中から見えてきたので、今回は簡単に行けたなと安心した。
たいへん迷った前回の小浦駅と比べると大違いだ。
すぐプラットホーム
看板とホームの位置関係はこうなっている。
プラットホームと、さらに待合室も残っていたが、あちこち草がかなり茂っていた。
待合室なんか蔓に絡まれていたりするし、長年野ざらしにあっていたとうかがえる。
近寄ってみる
蔓の絡みっぷりが、侵食されているみたいだ。
シルエット的にゴジラのビオランテを一瞬ながら想像してしまった。
開かずの扉
待合室の入り口は板で封印されていた。
長年、人も入っていないのだろう。
蔓が入り口の足元にまで伸びているんだから、もはや人間様のものではない気がしてしまう。
線路跡はキレイ
線路があったと思われるところは短い草がふんわりやさしく切り揃えたようにキレイに生え広がっていた。
人間がいなくなった(使わなくなった)ことで、かえってその土地が浄化されて自然の楽園になったかのようである。
それなりに高いところにあるし、ラピュタっぽい趣もある。
遠くには怪しいサークルも見えるし…
ホームから下界を見下ろすように山の方を眺めると、遠くに支柱が円形状に並べられた奇怪なサークルのようなものが見えた。
ミステリーハンター的な好奇心を駆り立てられるのであった。
遺跡に立ち寄る
何だあれは?となった柱数本によるサークルであるが、駅の近くで縄文遺跡が発見されていたことを考えると、なるほどそれなのだろうと想像もつく。
ただ意外だったのはこの廃駅と縄文遺跡がこんなに近くにあったのかということだ。
むかし、真脇遺跡に立ち寄ったことがあるのだけど、もっと山の方から降りていった記憶があったからだ。
いったん、最初の小坂の前で目にした案内板まで戻ってみる。
遺跡はこっちから行けるとある
行けるの?
どれだけ歩かされるの?
なんてことも頭を過ぎったけれど、試しに徒歩で進んでみることにした。
階段あり
ここを下りて、すぐ左に曲がると…
トンネルのようになっていた
線路のあった下を通過できるのである。
通り抜けてみると…
以前目にした建物が
あ、ここ来たことあるな、と記憶が蘇る建物と景色が目に飛び込んできたのであった。
ちなみにこの建物は体験館だ。
というか、こんなところから行けたのね。
振り返って遺跡の敷地から廃駅を望む
こんな位置関係なんだ、と改めて発見。
木に隠れて待合室が見えづらいので、わかっていないとそこが廃駅だなんてそう気づくものでもないと思うが…
もちろん、自分も数年前にここに来たとき眼中に入らなかった。
それにしても駅前に駐車場がないから路駐したけど、何だったらこの遺跡広場の駐車場に停めて歩いて廃駅に行けたわけじゃないか。
まあ、いいか。
真脇遺跡、久しぶりだ
用水路工事に伴って1982年の発掘調査で見つけられた、縄文時代前期から後期にかけての集落跡の遺跡だ。
地下の土地が年代順にキレイに層を成していたり、発掘された遺物(考古資料)がたくさんあったことから「考古学の教科書」なんて呼ばれているようで、けっこう貴重な場所だ。
国指定史跡にもなっている。
地元石川県民の中にはその存在すら知らない人も少なくないのが寂しいところである。
かくいう自分も数年前まで知らなかった県民の一人であった。
縄文館というのもある
遺跡より発掘された出土品や国の重要文化財にも指定されている遺物(219もあるらしい)の展示、縄文人についての解説などがされているところだ。
自分はこの館の中にはまだ入ったことがない。
今回も時間の都合上、諦めることにした。
代わりにこちらはしっかり撮影
「縄文小屋」と呼ばれる小屋が広場に建っている。
この日、この前で竹とんぼ教室も行われていて、そこの職員の方が中に入っても大丈夫と教えてくれた。
ということで入っていった
入り口が現代人からするとちょっと低い作りになっているので、自分などは少しかがんで入ることになった。
中は薄暗くカメラで撮影となると光量の少なさが心もとない。
なんとか撮影
天気が良くてよかった。
縄文時代の小屋を再現しているようで、木や縄、藁なんかでできている。
奥には薪がいくつも積んであった。
黒板には「火は触らないで下さい」と書かれてあったが、火元はなかった。
蓋がされている囲炉裏のようなものはあったので冬なんかには火をおこしているのかも知れない。
天井からも少し明かり
吹き抜けになっていて、屋根の「妻」の部分がしっかりと壁になっていないから光が入ってくる。
外から見ると大胆に三角形に開いているし、面白い作りだなと思う。
外には小川も
人工的に作られたものだと思うが、この細く角をいくつも作りながら流れている小川には見ているだけで和むものがある。
小川って最近見なくなったので、懐かしさを感じてしまうのである。
いいところですな。
まとめ
以上、旧縄文真脇駅の今の様子である。
ツルが絡まった待合室、柔らかそうにキレイに草が生える線路跡だけでも自然の楽園みたいに感じるところであった。
さらにその眼下には日本人の遺伝子に郷愁を感じさせる縄文遺跡の広場もある。
それらをひっくるめてどこか浮世離れした長閑な場所に思えて仕方がなかった。
2つひっくるめてしまったけど、駅名に「縄文」が付くし、駅と遺跡でワンセットと考えても良いだろう。
散歩している人発見
廃駅のあたりから、遺跡広場まで散歩をしている地元のご老人がいた。
いい散歩コースになっているようである。
背後から見た駅の待合室
だいぶ忘れられている感はあるものの、それだけに気持ち落ち着く長閑な情景を作っているのだから、忘れられているというのも案外悪いことではないのかもしれない。
そう思えた廃駅であった。
ただ、そう思えるのはここだけなのかもとも思う。
側にある遺跡のおかげで、ある意味、奇跡的にそう感じるのではと思うのである。
なんだろうか、やはりミステリーハンター的な好奇心をくすぐられるところだ。