初心の趣

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總持寺祖院の復興工事完成イベント『wagasairo和傘×回廊』を撮る

輪島市門前町にある大本山總持寺祖院の復興工事が昨年12月に完了し、それを記念したイベントが今年の1月より始まった。

回廊に、ライトアップされた和傘を置いているという。

ニュースで紹介されていた画を見る限りすごくきれいであったのでカメラを持って拝観してきた。

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復興工事が完了した總持寺祖院

輪島市門前町にある總持寺祖院曹洞宗のかつての大本山である。

もともと大本山総持寺と呼ばれていたが神奈川県に大本山の機能が移転してからは總持寺祖院と呼ばれるようになっている。

今年でちょうど700年の歴史があるお寺なのだけど平成19年に発生した能登半島地震により伽藍や回廊が被害にあい、ずっと修復工事が行われていた。

その工事が昨年の令和2年12月に完了し、復興工事完了記念として今年1月より『wagasairo和傘×回廊』というものが行われている。

思い出してみると自分が總持寺祖院に初めて足を運んだのは震災後である。工事が終わっている姿というのものも拝みたかったので足を運んでみたのだった。

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ということで總持寺祖院に到着

1月は石川県でも大雪が続いて1m近い積雪があったり、道もガタガタで輪島の門前町にあるこのお寺までなかなか行きづらかったけど、自分が足を運んだ1月の第4週ごろにはご覧の通り雪も溶けてFFの車でもここまでやってこれた。

というのもこの總持寺祖院にたどり着くまでにちょっとした坂を登ることになるので、雪が残っていると4WDでない車は正直きついときがある。

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三樹松関にかすかに雪が残る程度

また一週間後には大雪になるかも知れないというニュースも流れていたし、いいタイミングで来れたと思う。

天気は曇りと良くなかったものの、目的の和傘のイベントは室内で行われているのであまり問題はない。

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まずは拝観受付

最初の関を抜けるとこの受付で拝観料を払う必要がある。

拝観料は大人で一人400円(高校生で300円、中学生で200円、小学生で150円)だ。

この拝観料を支払ってしまえば、和傘のイベントは無料で見れる。

和傘は山門をくぐった先の法堂を含めた伽藍(がらん)や回廊に設置されているので、ひとまず山門へ向かった。

以前、この總持寺祖院にやってきたときはまだ山門が修復工事中であったので、直った姿を目にするのも自分としては今回の楽しみの一つであった。

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道中、境内を散策

以前と変わらず重そうな像だ。

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稲荷堂は…入れず

鳥居に結界のような糸が施されていたのでお参りは諦めた。

大雪のせいだろうか。

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芳春院は拝観できた

前田利家正室である芳春院さまことおまつの方の菩提所だ。

大河ドラマ利家とまつ」でもそうだと思うけど、利家よりもおまつの方に惹かれるものがあったりする。

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経蔵も見ていける

総工費、千三百六十一両という莫大な工費で建立されたそうだ。

一両が現代のお金で言うと75000円くらいみたいなので、1億円以上かかっているようだ。

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こちらは八角の輪蔵

334巻の経典が納められていて、この輪蔵を一回転させることでそれら一切の経典を読んだのと同じ功徳が得られるというのだから仏教は寛大だ。

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そして直った山門

以前来たときは門を正面からくぐることができず、迂回して回廊を進んでいたので、こうして正面が開けた状態を拝めるだけで感慨深いものがあった。

やっと修復工事が終わったんだなとの実感が湧いてくるのだ。

そして、なんと立派な門構えだろうか。

これを拝めただけでも来た甲斐があったというものだ。

 

山門をまじまじと

山門が修復を終えていたので、自分の中での復興記念として、この山門をまじまじと眺め、パシャパシャとカメラのシャッターを切ってしまっていたので、その写真も少し以下に羅列したい。

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横撮り

正面に見える赤い橋は赤いけど「白字橋」と呼ばれている。

雪があると滑りやすいので渡るときは注意したい。

左手に見える二本松は明治三十一年4月に起きた火災の中、輪蔵を類焼から守ったことから「火伏せの松」と呼ばれている。

これらは工事中も見られたが、こうして工事用の足場や幕がかかっていない山門と一緒に拝むのは自分としては初めてのことである。

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見上げると二階に扁額発見

「諸嶽山」と書かれてあるそうで、加賀藩主前田家本家第16代当主の前田利為公の筆によるものとのこと。

この扁額、畳一枚分もあるらしい。でかい…

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近づくとその大きさを実感

この門、総欅造りで高さは17.4メートル、間口は20メートル、奥行きは14.4メートルもあるそうだ。

野球のマウンドからホームベースの距離が18.44メートルだからキャッチボールができそうな気がしてしまう(絶対にしませんが)。

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天井にはなにやら御札のようなものがいっぱい

工事中も迂回しながらこの下を通っているんだけど、天井に色々と貼ってあることに今更のように気づいた。

天井だけではなく、柱にも貼ってある。

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よく見ると名前?

名前の他に奉拝の文字も読み取れる。

修復に関わったり寄付したりした方々を記してあるのだろうか?

詳しくはわからないけど…

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自分も浄財

こちら、山門の中央辺りにあるのだけど、ここの前で合掌すると、この広さだけに自然と気持ちが厳かになる。

特にこの日は拝観している人が少なく自分ひとりであったので、すごく静かで宇宙の片鱗を心の目で覗いてるような感覚も一瞬あった。

霊力が向上したような気も…したかも。

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右手を向くと回廊が

さて、山門は回廊とつながっていて、案内略図によるとこう右折して左回りに伽藍を回るのが巡拝の順路になっていた。

こちらを真っ直ぐ進むと最初に香積台という建物に突き当る。

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突き当り

右に曲がると総受付があり、お守りを手に入れたり御朱印を書いてもらうこともできる。

ただし、左に曲がっていくのが拝観の順路である。

そこから復興工事完成イベント『wagasairo和傘×回廊』も始まっていく。

 

和傘×回廊を撮る(仏殿)

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左に曲がるとこんな通路に出る

壁には『wagasairo和傘×回廊』のポスター等も貼ってあり、いよいよお目にかかれるんだなとの実感が湧いてくる。

この通路の突き当りをさらに左に曲がると大正五年に再建された仏殿に到着することになるのだけど和傘の設置はそこから始まっていた。

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曲がると見えたライトアップ

ぼんやりと、その和傘は光っていた。

ライトアップされたイベントとはいえ、クラブハウスのようなド派手なものではない。

木陰の下のヒカリゴケのように、または夏の川辺の夜のホタルのように静かで薄暗い仏殿の中で優しく光っているものである。

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仏殿の厳かな空気の中に一点の柔和な明かり

こちらには大きな仏像も置かれているのでどこか厳かなところである。

空気が張り詰めたような静寂が流れている。

ただ、そのような空気の中にあっても、その静けさを壊すことなく、溶け込むように、且つ少し和らげるように和傘は光っているのである。

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障子戸の奥には仏様もいる

この前ではしっかりと合掌。

本来、仏を前にして気を引き締めるところなのかも知れないけれど、和傘のぼんやりとした明かりのおかげか、より静かに、より自然と仏を前にできた気がする。

そういえば、仏様もぼんやりと光っているな。

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近くで撮ってみる

和傘の光は、ホタルの点滅のように消えたり付いたりする。

その際、赤色や緑色、青色や紫色のように、色が変化していくので、ぼんやりとした明かりの中でもいくつかの表情を見せてくれている。

こちらでは柄も色も違う3つの和傘が使用されていたので、撮る角度、撮るタイミングは難しい。どの表情を切り取ればいいのか悩むところであった。

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黄色っぽい光で

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いややっぱり青色で静かに

色によって撮っている側の感情も変わってくる。

当たり前のことだけど人間って色んな感情があるんだよなと、改めて思った。

 

法堂にて撮る

仏殿からまた通路を進み突き当りを左に曲がると次は法堂に行ける。

そこにも和傘は置かれていた。

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法堂への入り口

さらに薄暗いところであった。

「禁煙」の張り紙もぼんやりとしか見えない。

ただ、自分が入ろうとすると、それに気づいたお寺の方が少し明かりをつけてくれていた。

そして入ってすぐ目にする…

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wagasaの明かり

この建物、山門から見たらその奥にあるもので、ここの伽藍の中ではメインにあたるようなところだからか、かなり広い。和傘も二箇所に置かれていた。

中央の仏様を正面に、その両脇に侍っているように2つ(2セット)置かれているのだ。

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ひとまず仏様に合掌

正面には開祖瑩山紹瑾禅師、左右に道元禅師とニ祖峨山禅師が祀られている。

広さもあってか、ここに立つと霊気の迫力のようなものを感じてしまう。

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このように反対側にも

一つ(1セット)置かれている。

やはり場が和らぐ感じがする。

さらに和らげないかなと思い、この部屋の薄暗さも考えて、撮るときにホワイトバランスをいじって色温度を変えてみたくなった。

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暖かみを増してみた

先程と同じく青く光っているときに撮ってみたが、色温度の調整でより明るめになった。そのおかげで緊張感のある静寂さが少しまた和らいだかと思う。

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黄色く光っているときに

ここまで来ると、感情がだいぶ高まっているような印象になってくる。

後ろの仏様の神々しさがまして、畏敬の念は増したかと思う。

自分自身を見つめ直す感覚は、逆に薄らぐかも。

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2つ一緒の構図で

静かな空間でしっとり燃える情念と威厳。

自分の好みとしてはこんな色使いがいいなと思ったけれど、同時にそんな自分自身、悟りはなかなか開けないだろうなとも思うのであった。

 

階段にて撮る

法堂も後にして回廊を順路どおり進んでいくと、法堂を出てすぐの所に階段があり、そこにも和傘が置かれていた。

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回廊へと出るとすごく明るい

いきなり現実に戻されたような、そんな明るさだった。

扉を出るとすぐ階段があり、こんな明るさの中にもライトアップされた和傘が置かれている。

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進んでいくと見えてくる明かり

一段飛ばしくらいの間隔で小さな傘がいくつか置かれていた。

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よく見ると半閉じの和傘が一つずつ

それまでとは少し趣が違う。

窓から外の明かりが漏れる中でのライトアップなので、法堂のときと比べると明かりの力はやや薄く見える。

もっと時刻が過ぎて夕暮れ時になると、こちらの見え方も変わってくるだろうし、実用性も増してくるかと思う。

それでも昼間でも下から見るとキレイなものであった。

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ということで下の方から

日中でも足元や陰になっているところはそれなりに暗い。

それを灯す明かりも必要なのだよと諭しているような和傘だ。

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ちなみに露出を下げるとこんな感じで見える

結構暗い。

あまり画的に芳しくもないので、日中に来れて良かったなと考えを改めた。

 

僧堂の近くで撮る

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階段を降りて突き当りへ

回廊を進んで突き当りをまた左に曲がると、次は僧堂がある通路を通ることになる。

この日は僧堂の中を見ることはできない状態(戸が閉まっていた)であったが、その前の通路にもwagasaは置かれていた。

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曲がった先

遠くにぼんやりと小さな、でも鮮やかな色が見える。

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さらに近づく

近づくと傘の形もわかってくる。

曲がってから距離があるだけに近づいている間に何色にも光るので、誰もいない寂しい僧堂の前でそこだけ何かしらが生きているような趣があった。

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そこにぽつんとある

侘しさの中に微香のような鮮やかさ。

このポジションからだと手前の戸が開いて陽光が差し込んでいるのでまだ明るい。

だが、置かれている辺りは通路の角の方で、実際には結構暗い。

近づくに連れ、その趣、表情も変わってくる。

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寂しさの中、より香り強く

そこに生ある何かが命の火を灯しているようである。

暗くなるほどその明かりが力強く感じるのだ。

これを人にたとえ、町の裏路地にてこういう人を見かけたとしたら、見捨てないでほしいと言われているような気に少しなった。

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じゃあ、縦にも撮ってみよう

クローズアップ。

奥のほうがまだ明るいので、こうして撮ると同じような場所から撮っていても明るく見える。

光を当ててあげれたような気がこちらとしてもしてきた。

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さよなら和傘

回廊での傘はこれで最後となるので、別れを惜しむように後方からも撮ってみたら、ヒカリゴケみたいになった。

その光も、宇宙空間から見るオーロラのような色になっていたので「悟り」との何かしらの縁のようなものも覚えた。

仏が自分の記憶に残してくれたのかもしれない。と、勝手に解釈する。

曲がった先は再び山門だ。

『wagasairo』がこれで終わるのは少しさみしかったが、こういったものは大量消費しても仕方がないもので、侘び寂び程度が一番落ち着き、満たされるのだと一つ悟るのであった。

 

感想

以上、總持寺祖院の復興工事完成イベント『wagasairo和傘×回廊』の写真だ。

コロナ禍のせいか、また大雪のせいもあってか、拝観している人が少なく、回廊を回っている最中はほぼ自分ひとりの貸し切りのような状態であったので、ゆっくり見ることができ、その厳かなうちにも和むほのかな光の景色を落ち着いた心で捉えることができた。

自分自身の勝手な解釈だが、その演出には宇宙空間にも通じるようなものもあって、また人間の日常の中に隠れている教えや閃きのようなものもあって、自分の中で一つの教養のようになったことが自分には嬉しい。

ただのライトアップではなく、仏教の世界に触れれたような演出であったと思うのだ。

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御朱印も頂いた

ライトアップを撮りに来たわけだが、自分の中ではそれらもすべて含めて奉拝であった。

このイベント、もともと期間は1月31日までであったが、SNS等で好評だったそうで2月28日まで期間延長することになったようだ。

コロナ禍や大雪も重なって1月中には行きづらく、もう少し期間が伸びてくれればと言う思いも自分にはあったし、実際こうして拝観して、1月だけで終わるのはもったいない、もっと多くの人に見てもらえたほうがお寺や門前に住む人達にはいいだろうなと思っていただけに嬉しい知らせである。

自分はこの瞬間しか無いと思い結構無理して1月に来たが、来てよかったとつくづく思う。

感謝の気持で合掌である。