電波が悪くて携帯のナビが使えなくても見つけ出す…
かつて駅だった場所を目指す個人的な旅「廃駅の旅」の第7回目だ。
電波が弱いところだけど
今回向かった廃駅は旧能登線の「甲駅」だ。
こう書いて「かぶとえき」と呼ぶ。
前回紹介した秘境廃駅「鹿波駅」の次の駅だったところだ。
鹿波同様に穴水町にあり、同町の甲(かぶと)というところにある。
鹿波のときのような山の中にあるわけではないが、甲に入ると自分の携帯(キャリアではない)の電波がほとんど届いていなかったのでそれなりに田舎であった。
住所がわからないので車のナビも使えず、電波がないので携帯でグーグル・マップも使えないような状態であったので、目的の廃駅を探すのにちょっと手こずった。
自分のように迷子になってしまう人がいるかもしれないのでアバウトな行き方をまず記したいと思う。
甲郵便局の地図
一番わかりやすいのは甲郵便局だと思う。
ここまでくれば目的の旧甲駅はすぐそこだからだ。
すぐそこだって言うのに自分はだいぶ迷いましたが…
こちらが甲郵便局
能都穴水線こと県道34号を鹿波の方から走っていると、こんな通りに出てくる。
郵便局が左手にあり、もっと進むと「平和こども園かぶと」という認定こども園(幼保連携型)もある。
ここまでくればもう難しくない。
ポストがある曲がり角がわかるだろうか?
そこを左折すればよいのである。
左折して見える景色
ちょっと農道にも見えてしまうこの長閑な道を、あとはまっすぐ進むだけである。
ここからだと民家のせいで見えないが、旧甲駅はこの先に確かにある。
結構そのまんま残っている駅舎
郵便局を曲がった先を進んでいくと、すぐに開けた場所に出る。
出たなと思ったときには目の前に駅舎も見えるからちょっと驚く。
ここが旧甲駅
駅舎が外見そのままで残っているのだ。
先の鹿波駅の事があったから、こんなにキレイに残っているとは思ってもおらず、最初牛舎かとも思ったけど、寄ってみると確かに甲駅と書かれてあった。
看板もそのまま
間違いなく甲駅だ。
携帯の電波が悪くてここまで来るのに一度迷子になっているけど、たどり着いてみるとこんなにわかりやすくそのまんま残っているんだから(しかも建物大きい)、あの迷子の時間は何だったんだと思う。
駐車できるスペースも十分あるし、こんなにわかりやすいはずなのになぜ見つけられなかったのかと自分の方向音痴を恨んでしまう。
ええ、自分は迷子常習犯です。
(過去の迷子エピソードの記事は→こちら)
裏に回ってみる
撮影をしに行ったのが夏の終り頃だったので雑草があちこちで茂りまくっているし、ここからだと建物そのものもだいぶ劣化しているのがわかるので旧駅感は十分出ている。
中を覗いてみる
まつりの神輿のようなもの、おそらく子供用だと思われるものが置かれていた。
地域のまつりで使われているか、過去に使われていたものだろうか。
なんにせよ倉庫のようになっている。
祭りの日にはこの旧駅に集合して、駅舎前の開けたところで準備をしていた、又はしているのではなかろうか、なんてことも勝手に想像してしまう。
だとすれば、公民館の代わりのようでなかなかいい駅の再利用だと思えた。
でも隣では不思議なものも置かれていた
光の反射でちょっと分かりづらいが、隣の部屋にはなぜか部屋の中にビニールハウスのようなものが置かれていた。
何かを栽培していたのか、栽培中なのか…
建物自体は閉鎖中であるので確かめきれない。
栽培用ではないなら、なぜに部屋の中にビニールハウスなのか謎だ。
蚊帳か?とも思った。
この中で泊まれたりするのか?とも…
なんにせよ用途不明なのである。
猫発見
駅舎を裏側から撮っていたら、背後より猫がやってきた。
この辺りをネグラにしているのか、この廃駅周りが遊び場なのか猫がいたのだ。
カメラを向けても慌てて逃げ出すこともしなかったので、人に慣れているのかも知れない。
かわいいやつだ。
結構そのまんま残っているプラットホーム
猫がやってきたのは駅舎裏の山側の方からだ。
その山を正面にし左手に向くと、さらに駅のプラットホームも目にすることができた。
このように旧駅の旧ホームが確認できる
しかも結構に長い。
遠くからでも待合所も残っているのがわかる。
この日は自分の他に親子二人でこの駅の写真を撮りに来ている人たちもいた。
自分以外にもこうして廃駅の旅をしている人たちがいるようなのだ。
なんか嬉しい。
近寄ってみる
さすがに線路はもうなくなっているし、草がぼうぼうに生えているけど、ホームはしっかりと残っている。
長い上に構内全体が結構広い。
なんでも廃線前まで構内の側線にオユ10形2565号(国鉄の10系客車の一つ)が保存目的で置かれていたらしい(静態保存というそうだ)。
廃線前に同じのと鉄道の能登中島駅(現役の駅)に移されたそうだ。
そういえば中島駅にむかし青色の客車が止まっていたなぁ。
待合所もしっかり形が残っている
屋根の部分が欠けていたり壁に穴があいているところもあるけど残っている方だと思う。
待合所も扉を締めて閉鎖してある廃駅が多い中、こちら甲駅ではオープン状態であった。
中にはベンチだって置かれてある。
普通に今も休憩所として使えそうだ。
中に入ったら運賃表
当時使われていたと思われる運賃表も残っていた。
普通旅客運賃表だそうだ。
のと鉄道の現役の駅や、廃駅の旅でまわってきた駅の名前もある。
面白いのは金沢や富山、さらには消えかかっているけど京都や大阪、東京都区内の運賃まで書かれてあるところだ。
東京まで普通旅客だと5500円だったみたいだ(子供は半額)。
今なら新幹線だと片道で13000円以上かかるから半分以下だ。
これ、いつの時代のものなんだろうか。
しかもよく見ると甲駅まで書かれてある。
更に目を凝らしてみると、右端の「普通旅客運賃表」の上に小さく「前波」とも書かれている。
前波駅は甲駅の次の次の駅だ。
これ、前波駅にあった運賃表なのではないだろうか。
なんで前波のものが甲駅にあるのか、ミステリーである。
窓にはこんなものも落ちてたし
ハンドクリームか何かのチューブだと思う。
誰が置いたかこれまた謎だ。
廃駅になったのが2005年だから15年前のものだろうか?
ミステリーだ。
最近なら最近で生活感みたいなものがある。
それなりに今もここを訪れたり利用する人がいるんだろうなと思えてちょっとほっこりする。誰も訪れず使われずにいて寂しいままの廃駅よりマシだろう。
屋根の下にもベンチあり
待合所の他にホームには一部屋根のかかっているところがあり、その下にもこうしてベンチが置かれていた。
当時のものか、廃駅になってからのものかはわからないが、こちらも普通に使える。
錆びた鉄柱に比べると状態がいい。
錆びた鉄柱も廃駅感が出てて趣はあるけどね。
座る少年
座れるんだなということが証明されました。
人がいるだけで画に華と説得力がでるのでありがたい。
ちなみにホームの全体はこんな感じ
その長さと広さ、草の茂りっぷりがわかるかと思われる。
撮ったときは夏だった。
少年は待合所の撮影もしていた。
やっていることが自分と同じなので自分も傍からはこんな感じで見られているんだろうなとふと思う。
線路のあったところを覗き込む少年
人がいるとやっぱり絵になる。
長閑な風景だ。
ちなみにプラットホームから線路があったところはそれなりに高さがあるので注意したほうがいい。
線路があったところにこんな材木が
おそらく線路の枕木だったものだと思われる。
それがこうして積まれていた。
処分に困ってそのまんまなのか真意はしれないが、こうしてみると博物館の保存物のようでもある。
あえてここにこうして置いてあるようにも見えなくもない。
こんなのも残っていた
ホームの一番奥に一つ目の信号のようなものがあった。
出発反応標識というものらしい。
点灯したりはしないと思うけど、これまた形がきれいに残っている。
背後が山だけに、都会の駅なんかで見るのと味わいがぜんぜん違う。
人知れず佇んでいる感じも自分には好みだ。
感想
甲駅は廃駅になる前もともと無人駅だったようで、現在も人がいて何かに使われ続けているわけではなさそうなのだけど、駅舎にしてもプラットホームにしても、そこにある待合所にしても形がきれいに残っているので、傍から見た感じでは当時の景色に近いものがあるのではないかと思えた。
あえてそのまま残しているようにも見え、また枕木が積まれていたり、出発反応標識を残していたりしている点も見ると、無人ながら一つの博物館のように保存展示しているようでもあった。
確かに廃駅にはなったけれど、在りし日の姿、姿まではいかなくても在りし日の思い出を残そうとする気概のようなものを感じるのだ。
思い出づくりのように一枚撮影
右手に山、遠くに海(湾)も見えるし、撮り方次第では絵葉書のような写真にできるのではなかろうか。
何年経っても初心者の自分には腕がないのでこれが精一杯。
いずれにせよ、長閑でいいところだなとしみじみ思う。
最後にお地蔵様にも合掌
駅舎の正面付近にこのようにお地蔵様が並んでいた。
背後には290年前のお坊さんの経塚もあった。
水も置かれ、ロウソクも置かれているところを見ると住民の方々が世話をしているのがわかる。
この近くをよく人がやってきているということで、このお地蔵様たちがここにいれば、この廃駅も忘れられることはなく、駅の状態もまだまだ形そのままに残されていくのではないだろうか。
そう期待し、ちょっと安堵する自分がいたのであった。
お地蔵様に合掌、南無。