初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

宇出津で能登の伝承娯楽「ごいた」を学んだ

この日本には「ごいた」と呼ばれる将棋の駒のようなものを使ったゲームがある。

石川県能登町の宇出津が発祥地らしい。

先日、宇出津に足を運んだら、ひょんなことからその「ごいた」を体験することになったので、記したい。

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宇出津で見つけたモニュメント

先日、能登町を通った際に宇出津の方にも立ち寄ったら役場の前の広場で変わったモニュメントを見つけた。

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でかい「し」の形をしたモニュメント

将棋のコマのような形をして、その中央にひらがなの「し」と思わえる文字が彫られたものだ。

その左には「ごいた 発祥の地 宇出津」とある。

この能登町の宇出津より誕生した「ごいた」という遊びがあることは自分も噂で耳にしたことがある。

おそらく、それを発信するためのモニュメントだと思われる。

この場所は7月のあばれ祭りでキリコが集結する場所でもあり、昨年見に行った際には見かけなかったので、今年になって設置されたのだろう。

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その裏側

駒の裏にはなんにも描かれていなかった。

代わりに支柱の上の方に文字が書かれてある。

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考案者の名前など書かれてある

これによると考案者は「布浦清右エ門と三右衛門」という人らしい。

なんか古い名前だなと思ったら、誕生したのが明治の初め頃なのだそうだ。

もともと漁師たちの娯楽だったという。

その遊びが現代まで伝承され、平成十一年にはその「ごいた」の保存と継承を目的に「能登ごいた保存会」も設立したようだ。

このモニュメントを設置したのもその保存会だ。

それにしても「ごいた」ってどんな遊びなのだろう?

 

見上げると「ごいたの館」

どんな遊びなのか…

そんなことを考えながらこの高さ1.6メートル、幅2.6メートル(後で調べたらそれくらいあるそうだ)の「し」の駒を眺めていると…

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なんかその後方に「ごいた」と名のつく建物がみえた

駒らしきものも描かれている。

漁師町の中でちょっと浮いているようなその建物が気になって…

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近づいてしまった

「ごいたの館」とあった。

わかりやすい名称だ。

この伝統娯楽がどんな遊びなのか、それを知れる資料でも置いてありそうな雰囲気があった。

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「日本ごいた協会」の文字

保存会よりも更に大きそうな名称だ。

幟旗もある。

ますますそのルール等を知れる気がしてきた。

入り口から中の様子を覗き込むと人がいたので、自分はノックしてその戸を開けてみた。

もちろんアポなんてない。自分はたまにこういうことをしてしまう。

 

ごいたを学ぶ

「ごいたってなんですか?」

戸を開けた自分は不躾にもそんな尋ね方をしたと思う。

中にいたのは男のご老人一人、自分より上の世代の女性が4人いた。

突然やってきた自分に皆さん最初はキョトンとしていたが、モニュメントからこの建物が見え、「ごいた」という遊びを知りたくてやってきた旨を玄関で話すと、

「まあ、入りなさい」という話になった。

突然やってきた変な男に一瞬は戸惑いながらも、「ごいた」を知ってもらうチャンスとばかりに、特に女性の方々が「入りなさい、入りなさい」と招き入れてくれていた。

四人の女性は卓上に駒を並べていて、いままさにプレイ中であった。一緒にやってみなさいと、こういう話になったのだった。

ついでにいうと、お茶もいただいた。

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中には保存会の看板がバンッ

まさにあのモニュメントを設置したところだ。

その隣には額縁に入った布浦清右エ門の絵も飾られていた。

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こちらが駒

将棋のようでちょっと違う計32枚の駒だ。

内訳は…

「王」2枚、

「飛」2枚、「角」2枚、

「金」4枚、「銀」4枚、

「馬」4枚、「香」4枚、

「し」が10枚だ。

将棋と決定的に違うのは裏には何も描かれていないことだ。

トランプと同じようにひっくり返すとその駒がどんな駒なのかわからない。

モニュメントの巨大駒の裏に何も描かれていなかったのも、忠実にその駒を模しているからだったようだ。

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ルール表もあった

これを見てどんな遊びなのかと知る前に、先生と呼ばれていた男の方がごいたについて、その歴史やルールをいろいろと教えてくれた。

そうして実践で覚えるほうがいいということで、女性の方々が現在プレイしている中に自分も参加することになったのだった。

なんでもこの伝承娯楽、4人でする遊びなんだとか。

2対2のチーム戦なので、必ず4人必要なんだという。

自分は四人の女性のうち一人の方と交代してもらって、その人の助言と男の方こと先生にも教えてもらいながら「ごいた」を体験してみるのであった。

 

実戦を体験しながらルールを覚える

先にも記したようにこの遊びは2対2のチーム戦だ。

卓を中心に味方同士対面になって座るところから始まる。

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卓上に円状に並べられる32枚の駒

まずはこのように駒を伏せた状態で円状に並べていく。

そうして親を決めて、反時計回りの順に一つずつ駒をとっていくことになる。

このさい、最初に親がどの駒をとるか決めるのだが、親が顎を上げて駒を見ないようにし、親の隣の人(敵側の人)が「これ」と指さしたコマに対して親が顎を上げたまま「そのとなりの駒」だとか「2つ隣の駒」だとか「その駒」と指定することで決まる。

その顎を上げる行為を「あごのく」と言うんだけど、これ、宇出津の方言なんだとか。

でも宇出津の若い人の中にはその言葉を知らないという人も少なくないらしい。

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このように順番に一つずつ反時計回りに駒をとっていく

皆さん慣れているから駒を取っていくのが早いのなんの。

自分などはもたもたして順番を抜かされてしまうこと、しばしばであった。

32枚をきれいに四人で割るので一人8つの駒が手元に来る。

それが自分の手持ちのコマとなり、大ざっぱに言うとそれら手持ちの駒を相手チームよりも先になくすことで点数が入っていく。そうして最終的に150点(公式のルールではこの点数。遊びの中で更に上の点数だったり下の点数だったりで決めて遊ぶことも可)に達するとそのチームの勝ちとなる。

もちろん、手駒をなくすまでにもルールがあるので、以下にその説明もしたい。

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北西の方が親としてスタート

まず最初に親が一枚伏せた状態で駒を出している。

続けてもう一枚、今度は表を向けた状態で出している。これを「攻め」という。

写真の場合、親が二枚目に「金」を出しているのがわかるだろうか。

こうなると反時計回りに次の人(写真でいうと西南の人)も同じく「金」を出さなければならず(これを「受け」という)、手持ちにない場合は「パス」(もしくは「なし」)といってまた次の人に順番がまわることになる。

写真の場合、南東の人(親の味方)もパスをしている。

(セオリーだと味方が親の場合、味方の手持ちをより減らせるようにあえてパスをすることがほとんど)

そうして東北の人が「金」を出している。

親から始まって誰も同じものを出せないと親が再び一枚伏せて出し、もう一枚表に向けて「攻め」が繰り返されるんだけど、東北の人が「金」で「受け」たので「親」が東北の人に移ってしまっている。

親となった東北の人は続けて「香」を出しているので、また反時計回りに他の人は同じく「香」を出せるか出せないかとなっていく。(この時点で「金」のときのパスはリセットされている)

写真では続く西北の人が「香」を出せずにいる。西南の人は東北の人の味方なのでセオリー通りパスをしているが、南東の人は「香」を出しているので、続いては南東の人が「親」となるわけだ。

(説明がわかりづらくてゴメンナサイ)

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次の展開

親となった南東の人が次に「角」で「攻め」ているのがわかるだろうか?

「角」に対しては次の人もその次の人もパスをしており、西南の人が「角」を出して親となっている。

写真は親となった南西の方が続いて「銀」を出して攻めている様子だ。

こんな感じで親が変わりながら手持ちの駒を減らしてくのだ。

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ちなみに「王」は特別なコマ

「王」は親が飛、角、金、銀、馬のどれかを出してもオールマイティのように代わりに出すことができる。これを「切る」という。

ただし、この王による「切る」は「香」と「し」に対してはできない。オールマイティのようで実はそうでないのだ。

 

おさらいしよう。

・まず親を決めて32枚のコマを四人で分ける。

・親が裏返して一枚出す。

・親が続けて駒を一つ表に向けて出す(攻め)。

・親の「攻め」と同じ駒を親以外が出せれ(受け)ば出した時点で親がその人に移る。

・同じ駒を誰も出せない場合は、再び親が「受け」と「攻め」の駒を一つずつだす。

・親が入れ替わりながら先に手持ちの駒をなくすことで上がり、その「勝負」は決着。

・上がった人のいるチームに加点。その点数は最後に出した駒の種類で異なる。

(「王」50点、「飛」や「角」は40点、「金」や「銀」は30点、「馬」「香」は20点、「し」は10点)

・「勝負」を何度も繰り返し、チームの合計点が150点に達すれば「試合」は決着。

 

他にも特別なルールもある。

最初に分けられた8枚の手駒のうち「し」が5枚あると、味方と相談して駒の配り直しを選択できる。選択できるだけで、味方と相談して勝てると思えばそのまま続行も可能だ。

また味方同士で互いに「し」を5枚(同じチームで「し」を10枚すべて保持)していると、その時点でそれまでの点数に関係なく「試合」がそのチームの勝利で決着する。

ほかにも誰かが「し」を6枚持っていると、その時点で「勝負」が決まり、チームに点数が入る。

その際は残り2枚のうち点数が高い駒の方の得点が加算される。残り二枚のコマが同じものなら、そのコマの点数の二倍加算される。

また、「し」を7枚持っていると、残り一枚の駒の点数の2倍加算、「し」が8枚(手駒がすべて「し」)の場合は無条件で100点与えられる。

これ以外では「王」の扱われ方も特殊で、場にてすでに誰かが「王」で「切って」いる場合のみ親は「王」で「攻める」ことができる。

仮に「王」を二枚とも手駒にしているときは、親はいきなり「王」で「攻める」ことも可能だ。

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自分もやってみる

こういうのはやりながら覚えるに限るということで参加させてもらった。

手駒に「王」がいるのでなかなかいい手持ちだと思った。

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先生や代わってくれた女性の方の助言をいただきながら出していく

最初は言われるままであったが、ルールそのものはそんなに難しいものではないので、すぐに慣れてきた。

なんだろうか、将棋の駒でトランプの「大富豪(大貧民)」をやっているような感覚があった。

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少しずつだが手駒を出していく

味方の邪魔をしないよう、出せるときがあればとりあえず出す。

まずはそれでいいと思う。

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敵側の出された駒もちゃんと確認

場に出ている他の人の駒を観察し、また、敵や味方がどの駒のときにパスをしたかも考え、自分の手駒と照らし合わせて、どの駒がどれだけ残っているのか想像しながら駒を出していく必要がある。

裏返して出した駒のように見えない駒は想像するしかなく、それらを含めた駆け引きが面白い。

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残りの手駒

この時点でこの「勝負」の自分の勝ちを確信した。

「王」があるので別の親が「香」や「し」で「攻め」ないかぎり「切って」しまえるのだ。

親の心理上、数が多く弱い駒である「し」を「攻め」に使うことはあまりない。「香」を出されても手駒に「香」があるので対応できるというわけだ。

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いきなり上がれました

8枚の手駒をすべて出しきれたので、この勝負は自分の勝ちだ。

最後「香」を出だして上がっているのでチームに20点が与えられた。

一回の「勝負」はだいたい5分ぐらいで決着する。早いときはもっと早い。

「試合」が決着(どちらかのチームの合計点が150点に達する)するのも早ければ30分くらいなんだそうだ。

ちなみにこのときの「試合」そのものも自分のいるチームが勝利した。

ビギナーズラックみたいなものだろう。

先生の教え方もわかりやすかった。

 

体験を終えて

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部屋には番付もあった

この宇出津町での番付なんだそうだ。

「試合」が終わった後、皆さんの名前を尋ねたところ、その西の横綱にいる方が、先生(ご老人の方)だった。

「洲崎一男」さんという方で、いただいた名刺によると能登ごいた保存会の会長さんだった。

昨年までは「日本ごいた協会」の会長もしていたそうで、今はその全国の方の職は退いているという。

なんか、ごいた界の偉い人だった。

最初に記したモニュメントも、ニュースを見る限り洲崎さんたちが中心になって設置したようなのだ。

まさかそんな人に会えるとは、そうしてそんな方からルール等を教わることになろうとは、まったく思ってもみなかった。

この「ごいたの館」は2年くらい前に建てられたそうで、水曜日と日曜日にオープンしているという。

今回お会いした4人の女性の方々はその館で毎週のように「ごいた」を練習しているのだとか。

「ごいた」が一つのコミュニティになっている、というわけだ。

でも、もともと漁師たちがしていた娯楽だったからか、女性がこうして集まってプレイするようになったのはここ1、2年前かららしい。

皆さん、勝っても負けても楽しそうにプレイしているのが印象的だった。

実際、今回自分もプレイしてみて、あの駆け引きは癖になると思った。

「ごいた」、面白いのだ。

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館内に置かれている駒の見本など

想像以上に面白く、今後もプレイしたいと思った自分は、「ごいた」の駒をどこで買えるのかと尋ねた所、なかなか売っていないとの返事があった。

後で調べてわかったんだけど、珍しいものだからか値段も相当するのだ(1セット1万円超えなんて価格)。

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女性の方のお一人は手製の駒で自主練しているという

なかなか買えないなら自分で作れば良い。そういうDIY精神、自分も好きだ。

しかもよくできている。

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こちらは正式な「ごいた盤」

盤も、本当はこういう碁盤や将棋盤のようなものを使うそうなのだが、皆さん普通にテーブルの上で遊んでいた。

駆け引きは小難しいが、ただ遊ぶだけなら難しく考える必要がない、それが「ごいた」のようだ。

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会長さんが冊子とカード型のコマをくれた

駒を手に入れたがっていた自分にカード型のものを一つくれた。

マジですか?と思ったけれど、譲ってくれたのだ。

冊子の方は遊び方や実践例などが書かれた入門書だ。

これで練習ができる。

ごいたをやっている人は全国で1万人くらいいるそうなのだが、これで自分もその一人に数えられるのではないだろうか(プレイ人口が一人増えましたよ)。

娯慰多(漢字ではこう書くのだろうか?)、本当に面白かった。

自分は格闘ゲームとかレースゲームとかを好きでよくやるので、あの心理戦はそれらに通じるものがあった。

なにより、2対2の協力プレイというのが自分好みだ。

楽しい遊びを知れた。

今回教えてくれて体験もさせてくれた洲崎会長と女性の方々(佐藤さん、佐野さん、前地さん、谷田さん)に感謝だ。

 

なお、娯慰多の大会も定期的に行われているそうだ。

近いものでは11月に宇出津で全日本大会が行われると言っていた。

<全日本ごいた大会>

日時:2018年11月17日(土)午後1時より

(参加したい!と思ったらその日は出勤日だった自分。無理か…)

これ以外にも5月や7月にも大会が行われていたようなので、まだ参加する機会はいくらでもある。

少し腕を磨いて仲間もみつけて来年以降参加したいと思う。