一年前の写真であるが、以前、浅野川の前の「浅野川稲荷神社」に足を運んだことがある。
そこの狛犬がまた古いものであったので撮っておいた写真を一年ぶりに、御朱印の写真と併せて蔵出ししようと思う。
はじめに
前回、一年かけて一つの記事を作成した。そのことがきっかけで改めて昨年撮った写真を振り返ることができた。その際に「撮ってはあるけど一度もネット上にUPしていない」という写真がいくつかあった。浅野川稲荷神社の写真もその一つであった。
浅野川稲荷神社は過去に当ブログでも紹介した「金沢おみやさん巡り」の36社のうちの一つにも数えられる。あいうえお順だと当神社が36社中「1番」になる。
(金沢おみやさん巡りをしたときの記事は→こちら)
そこの狛犬がまた古い。
その古さだけで貴重だなと思う。
このままお蔵入りというのも勿体無い気がしたので、この度、記事としてまとめようと思った次第である。
まずは地図を確認
場所でいうと、百万石祭りの特別協賛行事の一つでもある「加賀友禅燈ろう流し」が行われる会場の直ぐ近くだ。
加賀友禅燈ろう流しは当ブログでも2年くらい前に一度記事にしている。
(燈ろう流しを撮った、まだまだブログを始めたばかりの頃の記事は→こちら)
神社から川をさらに下ると主計町の茶屋街があり、川を挟んで神社の対岸にはひがし茶屋街もある。
市内でも歴史と情緒があるところなのだろうと思われるが、神社そのものはかなり小さく狭い。
以下にその社と境内にいた狛犬の写真を並べたい。
浅野川稲荷神社
当神社がどれくらい狭いか。
言ってみると町中の小さな民家のような規模だろうか。
最初、この神社を探していたとき、一度その前を通り過ぎてしまったことがある。
気づかなかったのだ。
だって門の内側に鳥居があるんだもの
こちらが「浅野川稲荷神社」だ。
「山王さん」とか「浅野のばんどりさま」と呼ばれたりすることもあるそうだ。
ご覧の通り「玄関から門までの間に神社がある」といった感じのところだ。
社殿も玄関と並んで建っていた。
すんごく狭いところであるものの、社殿や鳥居の他にちゃんと手水舎もあった。
手水舎
舎じゃないかもしれないけどちゃんと手を清めるところがある。
手水舎といったらよく口から水が出る龍のオブジェが置かれていたりするけど、こちらでは流木のオブジェが置かれていた。
流木オブジェ
こうして見るとすごいうねり方をしている。
どことなく龍にも見えてくる流木だ。
そして、すでに見えていたように、社殿、鳥居、手水舎とともにちゃんと狛犬もいる。
国内の神社のほとんどがそれら四つを置いている例にもれず、こちらでも狛犬がいるのであった。
狛犬を撮る
さて、稲荷神社と言ったら狛犬よりも狛狐の方を連想するものだ。
自分もこちらへ足を運ぶまではてっきり狛狐がいるものだと思っていた。
ところが境内に立ち入ってみると狛狐ではなく狛犬のほうがいた。
稲荷神社だからといって必ずしも狛狐がいるわけではないのだ。
ただ、当神社は創立年代とかも詳しく記されているものがないらしく、その由緒も諸説あるらしい。
石川県神社庁のサイトにて「俗称として浅野川稲荷神社と云われる」との記述も見つけた。
いろいろと謎が多い。
まあ、自分としては由緒の真実を探求するより狛犬を愛でたいタイプなのでじっくりと以下の写真で鑑賞してもらいたいと思う。
まずは左側にいた吽形
そして右側にいた阿形
阿形、子持ちだ。
現代のものだとだいたい阿形がオスで吽形がメスなんだけど、こちらのものは年代が古いからか現代のセオリーからは外れて口を開けた阿形のほうが母(メス)である。
ともに撫でやすそうなやや平たい頭をしている。
吽形の方にはオスらしくトサカのようなものも見られる。
トサカ
シンボルチックなトサカだ。
いまにもアイスラッガーのように飛んでいきそうな力強さがある。
髪はサラサラしながら先端カール系で、その尻尾も炎のような意匠だった。
尻尾
このような尻尾の形は他の神社でも何度か目にしたが、だいたいそういう狛犬は古い。
どれぐらい古いのだろうと台座の方をチェックしてみると…
こう書かれてあった
漢字が並んでいる。
右から読んで後半の「四月吉日」は読める。
その前は「嘉永元戌申歳」と書かれてあるのだろうか?
時代で言うと江戸時代末期、幕末の頃だ。
調べてみると嘉永元年の干支は「戌申」だったようで、「元」という漢字も含めて「嘉永元年」に作られたと言う意味だと読み取れそうである。
つまり、これが本当なら江戸時代、幕末に誕生した狛犬だということだ。
明治や大正時代の狛犬は何度か目にしたことはある。それでもレアだと思っていたものだが、それより古い江戸時代となるとなかなかない。
石工の名前もあった
「治右エ門」とある。苗字がなく名前だけだ。そういったところも時代を感じさせる。
もし本当に江戸末期のもので、しかもこれだけキレイに残っているってかなり激レアだ。
爪もきれい
多少の傷も男の勲章とばかりのたくましさを見せる足や爪であった。
劣化しているところももちろんある
阿形の左足とその上に乗っかている子供の腹の一部が欠けている。
目立つダメージと言ったら、でもそれくらいだろうか。
こんな狭い神社(失礼)でこんな珍しい狛犬に出会えるとは、正直思っていなかった。
損傷していても凛々しいお顔
頼もしい顔だ。
そんでもって親子ともどもかわいかった。
御朱印もいただく
なお、狭い神社だけど狛犬の他にこんなものもいた。
鹿だ
ブロンズでできているそうだ。
稲荷神社で狛犬も珍しいと思ったけど、鹿も珍しい。
犬や鹿はいるのに狐がいないところがさらに珍しい。
眠そうな顔がなにげにかわいい
狛犬にしてもそうであるように、どこかまったりしている。
狭い境内だけになんだか神社に来ていると言うより近所の友達の家に来ているような感覚もある。
ただし、宮司さんがいつもいるわけではないので必ずしももらえるというわけでもない。
自分の場合、御朱印をもらえないかと玄関の方をノックしてみたり声をかけてみたりしていたものの、最初は不在であった。
御朱印は諦めて狛犬たちの写真を撮っていた所、宮司さんが帰ってきていただけることができた。
宮司さんは女性(やさしそうなおばあちゃん)の方だった。
御朱印にも笑顔で答えてくれたし、狛犬を撮っていたことを伝えると「どんどん撮ってあげて」と言ってくれるし、いい人だった。
いろいろと世間話のようなこともしてくれて、朝方に隣で雷が落ちたという話もしてくれた。
落ちた跡らしい
壁が破壊されていた。
足元には瓦礫も落ちていた。凄まじい。
金沢市は全国で見ても雷が落ちやすいところなのでこういうこともたまにある。
塩をもらえた
この神社ではお清めの塩が置かれていてもらっていくことができる。
食用に使ってもいいようだけど、自分はお守りがわりに持っている。
そしてこちらがいただいた御朱印
頼むと、宮司さんがいったん家に入って書いてくれた。
いくらなのか金額設定がされておらず、「ご志納は賽銭箱へ」と教えてもらえた。
自分はとりあえず他の神社と同じ金額である300円を賽銭箱にいれた。
すんごくシンプルな御朱印であるが、真ん中のハンコは木製のもので400年前のものだそうだ。
400年前って言ったら、江戸時代の初期の方だ。
いつからあるんだ? この神社…
というかレアすぎるだろう。
最後の最後でも驚かされた。
まとめ
浅野川稲荷神社は小さな神社だ。
人の家の庭にあるような小さな境内だ。
どこかほのぼのしている。
でもその歴史は古く、狛犬も幕末のもののようなら、御朱印にしても400年前のハンコを今でも使っているというから驚きだ。
小さな神社と侮れない。
予想を上回るレアなものに触れることができた神社であった。
ほのぼのさとレアさのギャップもすごい不思議なところであった。
立ち寄って良かった
撮影枚数も滞在時間も少なかったけど、自分としても満足でした。