鳳珠郡能登町の鵜川では毎年8月の第4土曜日に「にわか祭り」という奉燈祭がある。
「にわか」と呼ばれる武者絵が描かれた大奉燈が県内の他のキリコ祭りと比べても珍しいので見に行ってきた。
その日は花火大会もあり、大燈籠と花火を併せた写真を撮ってみたので写真を並べたい。
能登町鵜川へ
目的の祭りは能登町鵜川で行われる。
地図
あばれ祭りがある同じ能登町宇出津と同様に海に面した漁師町だ。
その宇出津からは南西の位置にあり、国道249号をさらに北東に上っていくと宇出津に到着する。
そんなに大きな町ではないので、今回国道を自動車で走っていると、あれよあれよと次の町に出てしまっていた。
にわか祭りではその町中を高さ7m、幅5.4mの大きな9基の奉燈が練りまわることになる。
むかし海難事故や不漁が続いたとき、海瀬神社の水の女神・市杵島姫命(イチキシマヒメ。後の神仏習合では「弁財天」)に豊漁、海上安全を祈り、武者絵を描いて担いで(奉じて)女神を慰めたことがこの祭りの始まりらしい。
町中の様子
道幅が結構広かった。
自分は旧のと鉄道鵜川駅(以前、のと鉄道は奥能登の方まで伸びていた)の前が臨時駐車場になっていたので、そこに停めて町の中まで歩いている。
写真でいうと、さらに先には祭礼本部が置かれている菅原神社があり、そのさらに先に花火が上がる「見卸しの浜」もある。
菅原神社の社殿
狛犬の写真を撮りたかったけれど、暗すぎてうまく撮れないのと、時間の都合で諦めた。
この「にわか祭り」は夜から始まる。
奉燈が町中を練りまわるのが21時からで、花火大会はその30分位前の20時半くらいよりスタートだ。自分はその花火に間に合うくらいの時刻に鵜川に到着していた。
境内には模擬店も並んでいた
この店が並んでいる先に「見卸しの浜」があり、その前で9基の大奉燈が待機していた。
はい、このとおり
模擬店の灯りとはまた違った、大きく柔らかな灯りがそこにあった。
境内を出てすぐ高さ7メートルのこれらを目にすると、その大きさというか迫力にちょっと驚いた。
よく目にするキリコと違って高さだけでなく幅もあるので存在感がある。
そしてその奉燈には大きく武者絵が描かれており、独特の雰囲気があった。
この武者絵が描かれている大奉燈のことを「にわか」というのだ。
9基の奉燈の武者絵をチェック
8時半少し前、「見卸しの浜」前に9基すべてが揃って待機しているので、このときにすべての武者絵をチェック(撮影)できた。
武者絵って毎年描かれるもののようで、毎年違うようだ。
以下、その写真を羅列したい。
いきなり桃太郎
本町組の絵だ。加賀友禅師の太田正伸さんという方が描いたらしい。
いきなり力強い。
デカイものだから真下から見上げると圧倒される。
なお、絵には「第壱番」とも書かれてあり、あとのものにもそれぞれ番号がふられてあったので以下その順番で並べている。
二番は桜木組のもの
なんの絵なのか、ごめんなさい、わかりませんでした。
三番目は天神町組のもの
こちらも誰が描かれているのか…わからなかった。
四番目は魚町組のもの
日本神話に出てくる「火遠理命」(ホオリノミコト)のようだ。
海神の娘の豊玉姫を娶ったそうで、奉燈のサイドにも「宝珠を授かる」と書かれてあった。
第五番は神出組のもの
「鬼武丸」と書かれてある。この名前、源頼朝の幼名なんだとか。
鎧も鎌倉時代のものだ。
第六番は栄町組のもの
こちらの絵は「加藤清正」なんだとか。虎退治中だ。
書かれてもいないからパッと見ただけではこちらも何の絵だかわからなかった。
第七番は水道組のもの
関ヶ原の戦いの豪傑「可児才蔵」(かにさいぞう)だそうだ。本名は可児吉長。福島正則に仕えていた一武将だ。
マニアック過ぎるよ。
第八番は海瀬組のもの
なんでも斬ってしまった男の嫁さんと恋仲に落ちて、最後自陣か他殺かその女性と一緒に死んでしまうという逸話の残っている人だそうだ。
こちらもマニアックだ。
面白いセンスをしていると思う。
最後の第九番は馬場組のもの
こちらも何の絵なのか自分にはちょっとわからなかった。
何の絵かわからないけど、描いたのは高校生絵師なんだとか。
絵師、継承されているようだ。
絵師が減っているということなので貴重だ。
なお、これら絵の裏側には組の名前がデカデカと書かれてある。
このように
第何番が何組のものかわかったのもそのおかげだ。
花火とともに「にわか」
花火大会は夜の8時半よりスタートする予定であったが、その時刻が近づいたころ、不運にもこの能登町鵜川で雨がパラパラと降り始めた。
台風19号、20号が過ぎ去ったあとで夜中より雨が降りやすい天気になると予報があったのだけど、まさかこの時間から降るとは自分としても想定外であった。
降っても夜の0時過ぎだろうと、傘も持ち歩いていなかったのだ。
そのパラパラと降ってきた雨のせいか、20時半になってもしばらく花火大会が始まらなかった。
待たされる格好のにわかたち
降ったと思ったら止み、止んだと思ったらまた降って、そうして再び空も安定してくる。
中止も覚悟していたけれど、幸いにも中止にはならなかった。
なんか、パンフでは20時半ごろスタートとあったが、正確には20時45分からスタートらしかった。
ちなみに「北陸中日花火大会」
この祭りに同花火大会が協賛しており、その花火大会の主催が北陸中日新聞というわけだ。
15分間と決して長くはないが、花火の下の「にわか」を撮ることができたので、その写真も並べたい。
一発目からでっかいのが上がっていた
すぐ近くより打ち上げられているのでその音も大きく、腹の底にズンと来た。
引いても撮る
この写真でいうと後方に菅原神社の鳥居があり、新聞社などのカメラマンはその鳥居の前で陣取っていた。
そこから見上げるように撮るとちょうど待機している「にわか」と花火を一緒に収めることができるようだ。
自分のこの写真はその鳥居の少し斜め右前から撮っている。
赤い花火と
なんか星雲のように見えた。
花火の光と奉燈の光ってあんまり波長が合わないものだと思っていたが、こうしてみると一枚の画の中で調和しているように感じた。
なお、電線が写り込んでいるのは愛嬌だ。
それくらい町中でこの祭りが行われているということだ。
それを見上げる少年
にわかは山車のようになっていて子どもたちが上がることもできる。
そこで掛け声とともに力強く太鼓を鳴らしていたりもしていた。
祭りが、次の世代にも受け継がれているわけだ。
最後は金色の花火と
日本の夏というところか、なんか落ち着く。
この祭り、見物客も結構多く、中には外国人の家族などもいた。
花火のさなかは人の多さでほとんどポジションを変えられなかったことが自分としては反省点で、いろんなアングルから撮れればさらに良かったなと振り返る。
動けないなりに、あれこれアングルを工夫することもあったのだけど…
自分が工夫しようとするとこんな画ばかりになってしまった
にわかから髪が生えたような、芸術を爆発させたような、ふざけているわけではないのにこうして見返すとフザケているような画ばかり撮ってしまっていた。
反省だ。
花火の後
さて、花火の後「にわか」が町を練りまわることになる。
本来、当まつりの見どころはその武者絵キリコが練りまわる姿にある。
言ってしまうと花火大会は前座みたいなもので、ここからが本番となる。
鵜川大橋を渡るときは武者絵が川面に浮かぶというし、クライマックスの海瀬神社境内では9基が乱舞するというから、見どころはまだまだあるのだ。
自分としてもそれらの写真も狙っていた。
ところがどうだろうか、15分間の花火大会も無事終わり、いざ「にわか」(武者キリコ)が町を練りまわろうと動き出した頃…
むっちゃ雨が降ってきた
花火の前の降ったり止んだりとは違って、予報のとおり本格的に降り出してきたのだ。
いや、予報では深夜0時くらいに90%の雨だったので、想定より早い。
雨の中でも突き進む武者絵キリコ
もう練りまわり始めた後だったから、いまさら中止というわけにはいかなかったのだろう、土砂降りの中を押し進めていた。
上に乗っている子どもたちにも容赦なく雨が降りつけ、みんなびしょ濡れであった。
子どもたちの中の小学校低学年くらいの一人が、
「さっさと降ろせ!」
と叫んでいたのにはつい笑ってしまった。
だよね。
このあと子どもたちみんなに傘が手渡されていた。
雨の中、ならぶ武者絵キリコ
町民の方の中には「中止にすればいいだろうに」との声も聞こえたけれど、人も周りにいてこんな縦列状態だから引き返そうにも引き返せない。
片付けるにも押していかなければならず、道路を利用しているからもちろんキリコを放棄して人間だけ帰るわけにもいかないわけで、このあとこのまま予定通り町中を練りまわっていた。
それでも無情にも雨は止むどころか強まること何度もあったので、曳き手の皆さん、大変だ。
無情にも破れるにわか
雨がどれだけ強く降っていたか伝わるのではないだろうか。
時々雷もなっていたし、風も吹いていた。すごい中を練りまわっていたものだ。
そんな姿でも練り歩いていると…
ダメージ拡大
中の骨組みが見えてしまっている。
痛々しいが、こんなふうにできているのかと、自分としてはその構造を目にできて興味津々でもあった。
絵の方も破れていた
いわゆる袖キリコである「にわか」って和紙でできているそうで、墨で描いたような絵の輪郭も「紺紙」という紺色に染めた紙を貼っていくことで墨絵のように見せているのだとか。
雨で破れるのも仕方がないのだ。
中には破れ過ぎなものも
絵がなくなっているのは残念だけど、構造がよくわかる。
先頭を走っていた「桃太郎」は灯りまで落ちていた
バッテリーが上がったとか言っていた。さらには動かなくなっていた。
道路を塞いでしまって自動車を通行止めにしていたくらいだった。
そんな大雨の中でも練りまわるときは元気な皆さん
動かすとなると祭りらしく掛け声を揃え、太鼓や笛を打ち鳴らして、雨に負けずに明るく山車を進ませていた。
すんごいパワーだ。
いや、これこそが祭りだ。
年に一度の催事、楽しまなくては損なのだろう。
感想
予報より早くに雨が降ってきて、しかも大雨でせっかくの武者絵も9基ほとんどで破れてしまうことになっていた2018年の「にわか祭り」。
シャッターを切っていた自分もキリコが町中を練りまわり始めてからは意識の半分は雨からカメラを守ることに持っていかれていた。
そうして雨が止みそうにないことを悟ると、自分も途中で帰ってしまったのだった。
傘も持っていなかったから自分もずぶ濡れだった。
今回当ブログ記事をまとめるに当たり花火との画をメインに据えているが、当初の予定ではもちろんなく、雨のせいでこうなった。
まともに撮れたのが花火のときだったので、苦肉というやつだ。
最後の乱舞も見たかったし、少なくとも川面に映る武者絵を見たかった。
つくづく台風って嫌だなと思いながら、それでも雨のおかげで武者絵が破れるという珍しい姿も見れたこと、破れたおかげで中の構造も目にできたことを考えると、ある意味ではラッキーだったのかもしれないとも思えてくる。
まるで雨宿りしているようなミニにわか
地元の方々、製作途中でこういうミニのものもちまちまと作っているそうだ。
でっかい方も雨が降ったら雨宿りできるようなポイントがあればなぁなんて考えたりもした自分であったが、やっぱりびしょ濡れでも元気に担ぐ方々の姿や掛け声を思い出すと、そっちのほうが改めて楽しそうで、祭りを地元に持つ方々が羨ましく思えたのだった。
来年以降もまた機会が合えば見に行きたいもので、そのときはきっと傘を持参しよう思う。
いや、傘など不要と濡れながらも最後までファインダー越しに追いかけることができたら、地元の方々と同じ歓喜を共有できるのだろう。
やっぱり傘なしか?
まあ、晴れるに越したことはないので、川面に映る武者絵を撮るためにも来年以降見に行く予定を組む際はてるてる坊主に願をかけようと思う。