石川県七尾市の四大祭に数えられてユネスコ無形文化遺産にも登録されている青柏祭は実は夜までやっている。
昨年は昼間の様子を撮りに行ってきたので、今年は夜の様子を見に行ってきた。
青柏祭は夜もやっている
現在では毎年GW中の5月3日~5日にかけて行われる大地主神社の例大祭こと「青柏祭」(せいはくさい)では、高さ12メートル、重さ20トンの通称「デカ山」と呼ばれる巨大な山車が狭い町中を曳かれていくことで知られ、三台が揃う最終日の5日には多くの見物客が訪れる。
今年2018年もかなりの人が足を運んでいた。
見どころといえばそんな巨大な山車が旋回する「辻回し」だろうか。
昨年は当ブログでもその旋回の様子を紹介した。
(デカ山の旋回の様子の記事は→こちら)
お客さんが多いのは道の駅「能登食祭市場」から七尾駅の方向へデカ山が惹かれていく昼間だ。
昨年自分が撮りに行ったときも昼間を狙って足を運び、夕方には帰っていた。
だが、青柏祭の曳山はそれで終わりではない。
5日の夜には三台の山車がそれぞれの神社等に帰っていくことになるのだ。
今年はそんな夜の姿を見に行きたく、夜の八時頃に再び七尾駅近くに戻ってきた。
夜の町の様子(鍛冶町)
デカ山が戻っていくルートにこのようにぼんぼりが灯されていた。
夜のデカ山を追う時はこれを目印にすると良い。
なお、今回自分が追いかけたのは鍛冶町のものだ。
三台同時に追いかけるのは物理上難しいので、大地主神社に戻っていく鍛冶町の山車に狙いを絞った。
夜なので駐車場をどうしようかと心配であったが、昼間のうちに臨時駐車場にいた係の方に相談したところ、市役所前(道路を挟んで前の三角州みたいなところにある)の駐車場がこの日は夜まで開いていると言われたのでそちらに停めさせてもらった。
その駐車場は大地主神社からも近い。普段は夕方過ぎには使用できなくなる駐車場ながら、祭りの日は特別にずっと開放されていたのだった。
20時半頃>鍛冶町三差路にて
二十時半ごろ、御祓川仙対橋から曳かれてきた、丸に「山」の字の山紋を持つ鍛冶町のでか山は鍛冶町三差路に到着していた。
そこでしばらく停車させて、一時間ほど夕食をとる休憩となるので、その間に夜の山車の写真を撮ることができる。
このように停車中
こんな狭い町角に停まっている。
こうして見るとサイズがおかしく見えてくる。
町の人や観光客など、見に来ている人も結構いた。
今年の人形の様子
今年2018年は能登立国千三百年だ。その記念の年に鍛冶町のでか山に飾られた人形は「菅原天神記 車引の場」だった。
平安後期の後醍醐天皇の時代に三兄弟が二対一に分かれて争う場面だそうだ。
あまり歌舞伎を知らず菅原天神記も読んだことがないので、自分には新鮮な物語であり一場面だった。菅原天神記を読んでみたくなった。
よく出来ている
人形、かっこいい。
停まっていて、お客さんの数も昼間ほどいないので接近して下方からじっくり撮れた。
夜の野外で歌舞伎を見ているようで、ちょっと小松市の「お旅まつり」を思い出した。
(昨年お旅まつりに足を運んだときの記事は→こちら)
人間もかっこいい
到着したてのころ、曳き手や木遣り衆の方々も周りにいた。
祭の法被姿ってやっぱりクールだ。
記念撮影してた
こういうのいいですな。
こういうのを見せられると祭りは見るだけじゃなく参加したくなる。
このあと曳き手や木遣り衆の方々は一時間ほど食事の休憩となるので、その間は曳山の周りの人数も減ってさらに撮りやすくなる。
下からも
横からも
撮りやすい。
この休憩時間の瞬間が山車を観察するにはうってつけの時間だと思われる。
女人禁制だそうだ
鍛冶町の曳山は男山だそうで、女性の方が山車に登ることも内部へ進入することも禁止されていた。
これは知らなかった。
ほかの府中町、魚町の2町の曳山はどうなのか?
府中町や魚町では「でか山レディース」という女性の曳き手がいるので完全な女人禁制ではないらしい。
むかしはやっぱり完全な女人禁制であったそうだ。女性たちの強い希望から少しずつ解除されているのだ。現代は男女平等だ。これも「時代」というものだ。
21時半>神社へ向けて再び曳出し
21時半くらいになり、一時間ほどの食事休憩が終わると三差路で停車していた曳山の周りに木遣り衆や曳き手の男衆たちが現れ、観客たちも再び集まってきていた。
木遣り衆も定位置に
ここで木遣り唄が歌われる。
マイクを通しているのかも知れないが、まあその声がよく通っていた。歌詞もいまいちよくわかっていないけど、その声が胸にしみてくる。
しばらく歌が続き、それが終わるといよいよ発進となる。歌の終わりが発進の合図のようになっているので、聞いているとそろそろだなとわかるのだけど、これが発進しだすと想像以上に速いから驚く。
もっとこう、ゆっくり歩いて追従できるくらいのスピードで進むものかと思っていたら、この大きな山車がぐんぐんと先へ先へと進んでいくのだ。
惹かれて発進!と思ったら…
一気に離れていく
早歩きで追いかけることになったので、写真もブレまくりだ。
なにげに人も多くて前方に先回りなんてこともできなかった。
この交差点でようやく停止
ここまでノンストップだった。
角に石造りの背の低い鳥居とほこらがあるところだ。ここを右折した先に帰着先である大地主神社があるのだ。
一気に前進してこのポイントで止まったのは要するにここで一度旋回しなければならないわけだ。
つまりは夜にも「辻回し」が行われるのだ。
夜の辻回し
青柏祭の見ものの一つとして、でか山が90度旋回する「辻回し」というものがある。
昼間に見るものだと思っていたら、夜にも行われるのだ。考えてみると、移動して曲がり角に差し掛かったら否応にも90度車体を曲げなければいけないのだから夜だろうと辻回しが行われて当然なのである。
しかも昼間では見物客の多さから近くより観察しづらかったが、夜だと結構な近距離でその様子を拝むことができる。昨年には見れなかった曳山の腹の下の様子なども見れたので、夜は夜でメリットがあった。
まずは大梃子で前方を持ち上げる
大梃子を前方の腹の下に設置して、その上にこうして男衆が乗っかり、その重みを使ってテコの原理でこの巨体の前方部を持ち上げていく。
前方を持ち上げているときの腹の下の様子
昨年はうまく撮ることが出来なかった地車に心棒を入れている様を撮ることが出来た。
地車とは進行方向に対し90°の方向を向いている腹の下の車輪のことだ。
辻回しはこの地車をピッチングさせて車体全体を90°ヨーイングさせるのだ。
ちなみにこのとき、心棒を入れる作業を2、3回失敗している。前方を浮かしているすきにねじ込むことになるので、上手く入らないときもあるようだ。それに一つ間違えると大事故にもなってしまうので慎重にかつ力強くやらなければならない。
入りました
無事入ったようだ。
このとき、思わず拍手していた人が自分も含め何人かいた。
夜で照明をつけながらの作業で、加えてお客さんも昼間ほど多くないから、周りの人がその様子を観察できていた。
後は浮いた右前輪に縄をつないで…
みんなで引っ張っていく
斜めにグイグイ引くことで地車を軸に車体が90°曲がっていく。
回ってます
これまた結構速い。
段階的に回すのではなく、勢いよく一気に横に向けてしまうのだ。
心の準備が出来ていないうちでの辻回しであったので、慌てて連写したのが上のGIFだ。
旋回中の腹の下は、なかなか危険そうだ。勇気のいるポジションだと思う。
いいものを見れた。
大地主神社へ帰還
辻回しを成功させて交差点を曲がると、あとはまっすぐ進んだ先に大地主神社(おおとこぬしじんじゃ)がある。
もう想像がつくと思われるが、そこまでの一直線もこれまた勢いよく進むことになる。
曲がり角で木遣り唄が終わると…
ズン
ズン
ズン!
だった。
先回りして撮ろうとすると、ギャラリーが逃げるように早歩きでこちら側に押し寄せてくるので、撮りながら自分もまるで逃げなきゃいけないかのような気持ちになってしまった。
最後は神社の鳥居の前で少しだけ旋回
このときは辻回しではなく、小さな梃子をいくつも利用して前進させながら曲げていた。
鳥居の前が広場になっているので、そういう事もできるのだ。
広場がゴール
無事、到着だ。
ギャラリーが集う中、最後の歌や踊りも披露されていた。
踊っていた
※画像が荒くて申し訳ないです。
拍子を取る人たちも
拍子に合わせて踊り、それらに見入るギャラリーたち。
そこには祭りを完遂した者たちの安堵と達成感があり、観客もそれらに共感して一体となっているようなそんな空気がこの場にはあった。
祭りを最後まで見るとこんな余韻にも触れられるのだ。
感想
鳥居前の広間の前で停められたでか山だが、翌日には解体作業があると言っていた。
祭りの関係者はそこまでやって「やり遂げた」ということになるのだろう。
それらは観客でしかない自分たちには味わえない領域だ。
その模様の写真も、もちろんない。
それでも観客として、まつりのフィナーレを見届けれたことにとても満足している。
余韻の共感は、青柏祭という1000年以上続いているといわれる町の行事ならびにその継承に間接的にも参加しているような、そんな錯覚を与えてくれるものであった。
大地主神社の境内にて
小さなキッズたちも、大きくなったら祭りをつないでいくのだろう。
来年もまた足を運びたくなった。その際は他の二町(魚町 or 府中町)の夜のデカ山の模様を見てみたい。