初心の趣

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能登立国1300年記念の御朱印を求めて總持寺祖院を歩く

今年2018年は能登立国1300年だ。

それを記念した記念印つき御朱印が、輪島市門前にある總持寺祖院でも登場しているので足を運び、境内を歩いてきた。

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能登立国1300年の記念印つき御朱印を求めて

奈良時代の養老二年、西暦でいうと718年に越前国から羽咋能登、鳳至、珠洲の4郡が独立して能登国が誕生。今年2018年で能登立国1300年だ。

それを記念してあちこちで記念行事等が行われている。

その一つというべきか、羽咋市の妙成寺(日蓮宗)と輪島市門前の總持寺祖院曹洞宗)も1300年記念印付きの御朱印を登場させている。

妙成寺の方へは3月に足を運び、無事御朱印をゲットできた。

妙成寺を歩いたときの記事はこちら

次は輪島門前の總持寺祖院というわけだ。

地図はこちら

ここには数年前にも奉拝をしているが、改めてカメラを持って足を運んでみたかったのだった。

 

駐車場は市役所支所で

車のナビなどを使って總持寺祖院へ向かうと、寺への入口の向かいにある輪島市門前総合支所にたどり着く。

クルマを停める時はその市役所支所の駐車場を利用すると良い。

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輪島市役所門前総合支所だ

総持寺祖院への入口の前にある。

二階には輪島市門前交流センターもある。

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現在、地域の文化財展示中

なんだか展示会が行われているようなので、總持寺に行く前にその輪島市門前交流センターにも立ち寄ってみた。

開館時間は9時半から16時までで入場は無料。トイレもあった。

入っていった当初の理由がトイレの利用だったのだけど、センターの展示物がまた面白くて、結局全部見て回り、職員(解説員?)の方とも少し話をした。

現在、切り絵や遺跡出土品などいくつか展示されている。その中で自分が一番興味深かったのは「アマメハギ」だ。

アマメハギとは輪島や鳳珠郡能登町の一部地域に伝わる伝統行事で、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

囲炉裏や火鉢の前に長くいるとできる火ダコのことを「アマメ」と言い、怠惰の象徴だった。そのアマメを剥ぎ取りに来る妖怪が「アマメハギ」で、怠け者はいないかと家々にやってくる伝統行事が1月にあるのだ。

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こういうのだ(パンフより)

秋田県男鹿半島周辺に伝わる「なまはげ」みたいなものだ。いわゆる来訪神というやつだ。

同展では五十洲地区と皆月地区のアマメハギの展示がなされていた。

なんでもアマメハギやなまはげといった日本の来訪神の文化を現在ユネスコに申請しているらしい。結果が11月頃に出るという。新たな観光資源になるかもしれないので登録されてほしいものだ。

 

大本山總持寺祖院へ

そんな輪島市門前総合支所から斜め右前方に總持寺祖院の境内へと入っていける門がある。

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立派な石碑と門だ

これだけはっきり書かれてあるとそこが總持寺だと誰でもわかる。

門というのは正確には「三松関」というので関と考えるほうが良い。

この門(関)をくぐるとすぐ拝観受付があるので、そこで拝観料を払うことになる。

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境内に入ってすぐの様子

くぐってみたら、境内はこのように広い。

写真左に見えるのが拝観受付の建物だ。

拝観料は大人400円、高校生300円、中学生200円、小学生150円だった。

払い終えると境内の地図をくれ、係の人が拝観ルートを鉛筆でその地図に記してくれた。

その方曰く、撮影は基本的にどこでもOKだ。唯一、寺のお宝を特別展示している「禅寺の名宝展」だけは撮影禁止であった。

 

總持寺祖院の境内を歩く

以下、受付でもらえた地図を頼りにたどった境内の様子を写真で紹介していきたい。

拝観受付の前を通り過ぎ、境内の奥へと歩いていくとまずは手水舎が見えてくる。

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手水舎だ

自分も手を清めたけど、作法が神社のときと同じにしてしまった。

寺での手水舎の作法が自分にはわからない。

この手水舎の前を過ぎると続いて總持寺祖院のパワースポットの一つが見えてくる。

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そちらがこれ

「おそうじ小僧」だ。

總持寺祖院曹洞宗なので禅寺だ。禅寺には座禅という大切な修行があるのだが、その座禅についで大切な修行が作務(「さむ」と言う。境内の掃除などのこと)なのだとか。

風が吹いても掃かされ、「風が収まってから掃けばいいのに」という要らない思いも掃くという。

この像を前にすると自分が日頃雑念だらけであると思い知らされる。

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真正面にすると、なんか怖いけれど…

微笑みが特に。いろんなものを見透かされた上で冷笑されているようにも一瞬見えた。

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道を挟んで正面の木々の間にはこんな像も

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さらにはこんな像も

「此の経難持像」というものらしい。

なんかどれも強烈なインパクトを残してくれるものばかりだ。

畏怖すべきか笑っていいのか禅寺だけに反応に困ってしまう。

なお、受付でもらったマップによると境内には「おそうじ小僧」のようなパワースポットが他にもあり、計5つあった。

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此の経難持像の後方には第二のスポットがある

奥に赤い鳥居が連続して見える。寺の境内に稲荷堂があるのだ。

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総欅造りの稲荷堂らしい

こういうのを前にすると個人的に気なるところといえばやはり狛狐だ。

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玉を咥えたものと

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巻物みたいなものを咥えたものがいた

どちらも逆光の中でこちらを睨んでくる。

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いい面構えをしている

ちょっと『うしおととら』の白面の者に目つきが似ている。

狛犬って肉体的な力強さがあるが、狛狐って術を使って精神的に攻めてくるような妖しさがある。

二つ目のスポットというのは、しかしこの稲荷堂ではない。

その側にあるお地蔵様がそれだ。

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こちらがそのお地蔵様

「乳貰い地蔵」という。

死んだ母親が墓の中で生まれた我が子のために夜な夜な飴屋に通って母乳代わりに飴を買って育てたとか。その子が後の總持寺五代通幻寂霊禅師で、住職になった際に母の慈恩に報いるためにこの地蔵を安置したという逸話がある。

乳が出ないで困っている女性や子育てに悩む父母の助けをしてくれるご利益があるそうだ。

にわかに信じがたい話だけど、こういう逸話、自分好み。

なお、お堂の中にはお地蔵様が4、5体いた。

全部、乳貰い地蔵ということでいいのだろうか? 謎だ。

そこから再び第一パワースポットのおそうじ小僧の方へと戻ると、すぐとなりに塔頭(たっちゅう)がある。

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「亀阜山 芳春院」だ

芳春院とは前田利家正室「おまつの方」のことだ。

元々、おまつの方が總持寺祖院に参詣した際に塔頭を建てるのを懇願してできたそうだ。ただし、元のものは火事で焼失しているそうで、現在ここにあるものは再建されたものらしい。

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敷地に入ってすぐ脇には「水子地蔵尊

とりあえず合掌した。

ここではさらに弁財天の絵馬を奉納できたりする。

おまつの方ってやっぱり聡明で慈悲深い人だったのだろうか?

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御朱印紙あります

ここではここだけの御朱印(すでに書かれた御朱印紙)もあるのだけど、あいにく自分が足を運んだ日は一枚も残っていなかった。

この芳春院のさらに隣には第三のパワースポットもある。

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再びお地蔵様だ

身代わりになってくれる「味噌摺り地蔵」というものだ。

なんでも、むかし總持寺で毎日味噌摺りを修行にしていた小僧がおり、その小僧が善光寺参りをしたくて境内にある地蔵に毎日願掛けをして總持寺を抜け出したのだが、留守の間も庫裡にその小僧の姿が消えなかったという。真面目な小僧の代わりにこのお地蔵様が身代わりになったという逸話が残っているのだ。

その手にはすりこぎ棒のようなものを持っているように見えるのだが、それ以上に頭のニット帽子と前掛けのほうがどうしても目についてしまう。

その前掛けには奉納したと思われる個人名や住所、年齢まで書かれてあったのでちょっと驚いた。

みんな頼り過ぎと言うか、それだけ愛されている地蔵様ということか、何にせよ見た目がファッショナブルで若者に親しい感じがしてならない。

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その斜め前には「経蔵」がある

経蔵(きょうぞう)とは経典や仏教に関する書物が収められているところだ。

中に入ってみると…

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こんな像があった

控えめなVサインをしているこちら、「傅大士像」とあった。

傅大士(ふだいし)とは中国梁代の居士だった人だ。双林寺を建てた人で、輪蔵を作った人でも知られるため、経蔵内に傅大士像を安置するという習慣が広まったらしい。

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像の背後にあるこれが「輪蔵」

いわゆる回転式書架だ。大蔵経を収納してある。

側面のマス目みたいなものの中に書物を入れて置けるのだ。

回転させることが出来、回転させるだけで経典全巻を読誦したのと同等の御利益が得られるとも言われている。

この總持寺の輪蔵の周りには柵が設けられてあったので、参拝客が勝手に回転できるものではなかった。

 

修理中の山門を抜ける

経蔵の近くには鬼屋川という小さな川が流れており、その川に白字橋という小さな橋がかかっている。

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赤い橋だけど「白字橋」

本来、これを渡った先に山門があるのだが、写真のように現在修理中だった。

2007年に起きた能登半島地震でダメージを負ったようで、修理が長く続いている。

いつ頃完成なのか聞いてみるとあと3年はかかるといっていた。

だいたいお寺の門って北や南を向いているものなのだが、来訪神の文化があるこの輪島では海から色んなものがやって来るということで海側(ここでは西側)を向いているとアマメハギの説明をしてくれた学者の方が教えてくれた。

ただ、總持寺祖院の人は、海ではなくインドを向いているんだと言っていた。西方浄土(さいほうじょうど)という言葉があるからこそ西を向いているんだという。

こうやって学者と僧侶で意見が別れているところが面白い。

この山門だが、確かに現在修理中であるものの通過することができる。

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工事中の中を通過

洞窟に入っているようでこれはこれで嫌いじゃない。

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抜けた先も

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あちこち

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工事中

もう境内を撮っていると言うより工事風景を撮っているという感覚があった。

あんまり寺の修復作業現場って見れないのである意味レアでもある。

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工事中だけど仏殿等に入っていけないわけではない

工事用パテーションの間を通りながら仏殿や法堂などに行けるのだ。

案内にもあるように御朱印も貰いに行ける。

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現在はこの仏殿で御朱印をいただける

入口側にショベルカーがいるけど気にはしてられない。

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入ってみると「総受付」なるところがある

お守りなどが売られているところだ。

ここで目的である能登立国1300年の記念印付き御朱印をいただけることになる。

すべてをお参りする前であったが、ひとまずここで御朱印をいただくことになった。

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足元には「脚下照顧」の文字

靴を脱いで上がるところだからか、このような四字熟語が記されていた。

脚下照顧(きゃっかしょうこ)はもともと禅家の言葉で、足元に注意せよと言う意味の他に、他人に向かって悟りを追求せずにまず自分自身を見つめよ(自分自身の本性を追求せよ)という意味がある。自分も、この四字熟語がむかしから好きだ。

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仏殿なので仏様もいる

キンキラキンだ。

とりあえず合掌だ。

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隣の部屋にはこのような筆書きが

達筆だ。自分にはまず書けないし、習字の心得が小学生レベルなのでなんと書いてあるのかもわからなかった。

わからない時は畏怖しておこう。

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大きな杓文字(しゃもじ)もあった

これは… 笑ってしまった。

でかすぎるからだ。

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でもこの文字を見て考えさせられる

御佛の慈悲は… デカい。

 

御朱印を頂いた後にさらに境内を歩く

仏殿で御朱印を先にもらった後、境内の他の施設、並びにパワースポットの残りを巡った。

仏殿を出て最初に足を運んだのは法堂だ。

仏殿からすると右の方にある。

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法堂の入口だ

法堂そのものが横に大きく高さもある。

扉もまるで門のようで、その装飾も立派だ。

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登録有形文化財だそうだ

扉を抜けると、いきなりこのモニュメントのようなものが置かれている。

大本山總持寺祖院の18の建造物が造形の規範となり、歴史的景観に寄与し、かつ再現することが容易ではないことなどから平成二十年三月に国の登録有形文化財に登録されたそうだ。

この法堂(はっとう)は「大祖堂」ともいい、禅宗の道場みたいなところだ。ここで仏教の講義をするのだ。

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見上げるとお坊さんが数人いた

何かの準備をしていた。右の方にはイスがいくつも設けられ、説法を聞けるような形を整えていたので、この日はそういった催し、または法事があったのかもしれない。

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次には「放光堂」へ

法堂から屋根続きで放光堂が見える。

最初の受付の人が言うにはここに閻魔像が安置されているとのことだ。なかなか特徴的なお堂だ。

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というか何体もいた

閻魔様が何体もいる。

中には裁かれた後のように首がもげたものもあった。

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天井には絵も

閻魔もいれば大黒天も描かれ、髑髏もあれば花や月なんかも見られる。

特徴的と言うかなかなかカオスであった。

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それでいて中央にはドンと仏様

このあたりは均整が取れているようにも見えるので、ただ「混沌」という言葉で片付けられない。仏の荘厳さと静かなチカラに気がつけば圧倒される。

合掌だ。

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放光堂の側にはさらに「伝燈院」がある

伝燈院は能登總持寺を開山した瑩山(けいざん)禅師の御霊廟だ。

700年の法燈を今に伝える聖域なのだとか。

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霊廟だ

開いているときもあるらしいが、自分が行ったときには閉まっていた。

閉まっていても合掌だ。

ここを正面にして左側の山の方にはさらに「慈雲閣」という建物もあった。

そこまでの道が現在工事中で、建設会社が設けた簡易の扉を抜けないと行けないので、少し戸惑う。

その簡易の扉を抜けると…

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ここにも仏像

全国火葬場残骨灰諸精霊永代供養塔も隣りにあった。

慈雲閣はこの仏像の後ろの階段を登った先にある。

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つづら折れでけっこうな長さの階段だ

こうしてみるとなかなか大変だが、実際に歩いてみると普通に行けた。

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慈雲閣を見上げる

こんな高い所に作らなくても、との声も聞こえてきそうだ。それでも登ってお参りすると、ちょっとした達成感があるので悪くない。

 

山の中も歩いてしまう

慈雲閣にたどり着くと、道がそこで行き止まりというわけではなかった。

慈雲閣を正面に左手には別に道も見えた。

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山道…かもしれない

境内にあることに違いはなく、進むとこの先に何があるのか興味も湧いてしまったので歩いてみることにした。

すると道中、観音像をいくつも見かけた。

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このように

台座には番号や寺の名前、地域の名称も彫られていた。

なんでも「北陸三十三ヵ所観音霊場巡り」というものがあるらしく、この總持寺祖院はその十五番に当たるそうだ。

この山道には三十三の霊験あらたかな観音様が祀られており、順に参拝できるようになっている。

自分が最初に見かけた写真の観音様には三十三番との文字が刻まれていた。

次に見かけたのが三十二番、その次は三十一番であったので、自分は結果として順序を逆にして参拝していたようだった。

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こんな感じで

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山道に沿って観音像が置かれていた

すべての観音様にお参りし、すべての観音様の写真も撮っているのだが、三十三体すべてを一つずつ載せるとかなりの量になるので割愛させて頂く。

観音様は各寺院ごとに手が何本もあったり、表情が違っていたりとそれぞれ違う。

また、台座に刻まれた寺院の名称を見るとだいたい北陸の寺ではなかった。十五番目も總持寺祖院ではなかったので、山道の観音様に記された寺の名前と、北陸三十三箇所観音霊場の礼所一覧の数字とは一致しない。

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観音様の十五番目も「山城国」「今熊野」の文字

今熊野観音寺のものが祀られているのだ。

少し腑に落ちないところもあるけれど、とりあえず合掌だ。

自分より先に参っていた人が一人おり、その人は順に観音様のまわりを小さな箒のようなもので掃いていた。

律儀な人もいるものだ。

さすがにそれは自分には真似できなかった。

あの方、現世で犯した罪を洗い流せてもらえるんじゃなかろうか。

北陸三十三ヵ所観音霊場巡りの各霊場へ参拝すると現世でのあらゆる罪が来世で消滅して極楽に行けるらしい。

なお、山道を一番の観音様を目指して散策し終えると、変な所に出た。

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変なところというのは罰当たりか…

たどり着いたのは、受付でもらったマップによると五番目の境内パワースポット「不動明王荒神漠布」(諸学嶽山十境)というところだった。(四番目を飛ばしてしまっている)

仏殿の後方にあるので、山を歩いて境内を少し戻った格好となる。

このパワースポットはお堂というより流れる水が神秘的なようだ。

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側に用水も流れている

不動明王の像もある。

不動堂の後ろの首山には三宝竜王の池があり、そこから流れでた滝の水で目を洗うと眼病が治ったそうだ。

水が、古来より眼病に効くと言われているのだ。

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小さな橋もあった

それにしてもここはどこだと、たどり着いた時思った。

どこから戻ればいいのかわからず、なんか工事していて入れないところもあるしで、結局…

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こんなところを通ってしまっていた

後からわかったことだが、ここ、法堂の裏側だった。

この後ろを通っていって伝燈院の方へとふたたび戻ることが出来たのだった。

 

坐禅堂を経由し最後のパワースポットもまわる

伝燈院まで戻ると順路通り僧堂(坐禅堂)の中も歩いた。

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こういうところを歩いていける

坐禅堂と書かれてあるだけに、この建物が座禅をするところ、つまりは修行の場所だ。

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ここで座禅をするのだろう

自分は雑念が多いので、すぐに肩を叩かれる自信なら無駄にある。

なお、坐禅堂の通路は通れても、この「坐禅」と書かれたこの修業の場(部屋)への立ち入りは禁止されていた。

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坐禅堂の廊下を進むと鐘鼓楼につながっていた

中の二階部分に梵鐘がある。

ただし、こちらも許可なく係員以外の昇降を禁止されていたので、昇ることはできなかった。

この鐘鼓楼の側(写真でいうと右に見える建物)にはさらに「白山蔵」という蔵があり、そこでは特別展「禅の名宝展」が行われていた。

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こちらが白山蔵だ

境内で唯一撮影が禁止されている場所だ。

蔵内は涼しく、外の気温が25℃近くあったのに、中の係員の方が足元でストーブを抱えていた。

その方曰く、現在工事中の總持寺祖院だけに見るところがなく、せめてもの罪滅ぼしで貴重な名宝を展示しているのだとか。

入ってみると古い掛け軸や、アメリカ大陸が描かれていない江戸時代の世界地図なんかもあり、そのどれもがケースなどに入ることなくそのまま置かれていた(無論お触り厳禁)。

本当かどうか、中には数十億円するものもあるとかなんとか言っていたけど、その名宝も目と鼻の距離で見ることが出来た。

別に料金を取られるわけでもなく、自由に見ていけるし、かなり余りある罪滅ぼしだと思う。

現在、能登立国1300年記念行事の一つとして「秘宝めぐり」というものも行われており、この總持寺祖院の名宝展もそれに数えられていた。

自分にとっては最初の「能登立国1300年 秘宝めぐり」であったわけだが、展示品の値段と展示品との距離とで一箇所目からかなりのインパクトであった。

いいものが見れた。

この白山蔵から境内の端の方へとさらに歩いていくと、最後のパワースポットも見えてくる。

もらったマップでは「其四」と書かれてあったところだ。先に其五の眼病に効く不動明王のところに行ってしまったので、それが最後となる。

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こちらが其四のスポット

「白山妙理大権現」だ。

仏法と修行生活の護り本尊だそうだ。

権現というのは、仏が仮に神の姿をして現れた姿(または考え方)のことで、日本の神の神号の一つだ。神仏習合だった日本らしい。

白山妙理権現は、白山の山岳信仰修験道が融合してできた神だ。

白山だから加賀のほうだしなんで輪島で?と思われるかもしれないが、日本の曹洞宗の開祖である道元白山権現より碧巌録の写本を助けられたとの伝承があるそうで、白山妙理は曹洞宗の僧侶の守護神となっているそうだ。

参りに来た我々をつつむように大きくお守りしてくれると書かれてあったので、最後の合掌だ。

 

御朱印と感想

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總持寺祖院をあとにする

途中、山の中を歩いたこともあってか、気がつけば二時間近くは境内の中にいた。

ネット上の案内などでは20、30分くらいで境内をまわれると書かれてあったので、我ながらのんびりしていると思う。

それだけしっかりお参りしたのだと思いたい。なにかご利益があれば嬉しいが、それを求めると結局雑念を払えきれていないと指摘されそうだから望むのはやめておく。

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記念印付きの御朱印もこのとおりGet

Getって書くとまるで物欲の表出だと思われるかもしれないけど、まあいいか。

真ん中には「太祖常済太師」と書かれてある。

總持寺を開創された瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師の尊称であり諡号(しごう)だ。

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能登立國千三百年の記念印

總持寺祖院のものは能登半島が描かれたデザインだ。妙成寺のものとはまた違っていた。

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妙成寺のものと並べる

無事、同じ見開きの中に二つの記念御朱印を並べるように頂くことが出来た。

能登立国1300年記念印付き御朱印はこれでコンプリートということになる。

御朱印目当てなので不順であるかも知れないが、それでも境内を歩くきっかけになったことには違いなく、歩いたことでいろいろと発見できたり、心に変化が生まれてきたので結果としてよかったと思っている。

寺巡りはやはり良い。

めぐったことでご利益があるように思えるところ(前向きになれる)が特に良い。

こうしてその様子をブログ記事としてまとめたわけだが、この記事を一回読むことで寺に一回足を運んだほどのご利益があるものになれればなぁ、などと境内の輪蔵の話のようなことを考えた自分は、やっぱり罰当たりだろう。

すぐ調子に乗る自分の雑念の多さを反省することで、今回のまとめとしたい。