七尾市の和倉温泉から能登島へと向かおうとすると、その道中に突然「昭和博物館」なる看板が目に飛び込んでくる。
正確には「昭和博物館とおもちゃ館」だ。
昭和生まれの端くれとしては随分前より気になる存在であった。
その同館へ先日足を運んでみた。
その看板だ
これが運転中に目に飛び込んでくる。
調べてみるともともとは「金沢おもちゃ博物館」として金沢にあったものらしい。
平成19年にこの和倉に移転し、昭和の暮らしも再現した展示もプラスして「昭和博物館とおもちゃ館」となったようだ。
昭和博物館とおもちゃ館の建物の外観
平成19年に出来た建物はまだ新しい。
玄関のアトムのオブジェも古さを感じない。
館長自身が30年掛けて集めたという昭和40年代くらいまでの生活用品や明治から昭和にかけてのおもちゃが、今でもキレイに保存状態良好のまま展示されている。
展示数は約10000点あると書かれてあった。
なお、入館は有料だ。
高校生以上で700円、小・中学生で500円。それ未満は無料だ。
自分は割引券を持っていたのでそれを使わせてもらった。
また、館内の撮影はOKだ。
館内へ
ウェルカムボードだ
「私たち~」という文句がニクい。
昭和の懐かしさはみんなのものだ。
改めて記すと、自分は昭和生まれの端くれであるので、昭和40年代までの生活には馴染みがない。
それでも見れば自然と懐かしさを覚えてしまうだろう。
世代が違うのに映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観ては田舎に帰ったような心地になっている自分だ。
自分が同館へと行ってみたいと思っていたのも、その心地を味わえるだろうと思ったからだった。
そしてその期待は裏切られることはなかった。
思った通りの昭和
ダイハツのミゼットから始まり、その奥には昭和の町並みが再現されていた。
これらが目に飛び込んできただけで思った通りの懐かしさを感じ取れた。
ミゼットの隣にはジュークボックスも
自分はジュークボックスの世代ではない。
ここで聞ける楽曲も明らかに世代が違う。
それでもほとんど知っている曲だった。
自分たちが音楽を聞くようになった頃はもうCDだったものの、自分たちが幼少だった頃に親世代がカセットで聞いていた楽曲が耳に残っているのだ。
それをまた大人になって聴き直す内に、自分などはいまでは当時の歌手の何人かのファンになってしまっている。
なお、このジュークボックスは今でも動き出す。100円玉を投入すると一曲聞けるのだ。
ということで1曲聞いた
ちなみに自分は、自分が物心ついた頃には引退していた山口百恵さんのファンだ。
その百恵さんの楽曲が4曲もあった。
また、よくカラオケで歌う久保田早紀さんの「異邦人」も見つけた。
どれを聞こうと悩んだ末、百恵さんの楽曲はCDを持っていて車の中でも聞けるので「異邦人」を流すことにした。
「異邦人」はA6
作動する機械
A6のスイッチを押した後、少々間が空いたのち音楽が流れ出した。
それもかなりの音量だった。館の奥の方にいても聞こえるくらいよく響いていた。
「異邦人」を人知れず口ずさみながら、館内に再現された昭和の風景をカメラで撮っていったのだった。
どうせ撮るなら昭和っぽく
思った通りの昭和で最初から思った通りの懐かしさを感じ取れた同館の展示だけに、自分としても撮影時は出来る限り昭和っぽく、その色を出せるよう努めた。
努めたと言ってもカメラ初心者の知識によるものなので大した画は撮れていないことをあらかじめ断っておく。
また、ここからはしばらく写真の羅列が続くがこれもまたご容赦いただきたい。
自分ができることなんて赤く撮るくらいだ
自分にできる昭和らしさなんてこれくらいのものである。
こんなものがあったらしい
こちらは戦前のもののようだ。
タバコ屋の内側から
定食屋の前から
ここの柱時計が時間になると「ボーン」(正確には「ヂャーン」)という音を立てていた。
百恵ちゃん発見
百恵ちゃんのポスターを見つける度、シャッターを切ってしまっていた。
昭和時代のテレビに映像
このテレビは現役で、当時の白黒のドラマが流されていた。
アイスを売っていたチャリンコ
昭和の茶の間の風景
あのジャー、祖父母の家にあった覚えがある。
昭和30年代の資生堂の店頭用鏡
景色が映り込んで変わった画になってしまった。
酒配達用の自転車
射的などの娯楽遊具
文房具店内の様子
この頃はいまのようにLEDライトなんてなかった時代だ。
店内の色温度が気持ち低いと感じたし、その色温度が懐かしいと思った。
駄菓子屋の風景
公衆電話の様子
こちらはさすがに現役ではなかった。
昭和30年代のプロマイドも飾られていた
この頃の女優では八千草薫さんが好き
うん、かわいい。いまではかわいらしいおばあちゃんだ。
このように一階に展示されている昭和の風景を努めて昭和っぽく撮ってみた。
結果として夕方っぽく見せるしかできなかった。
カメラ上級者になるともっと違った撮り方をして、より昭和らしい写真に仕上げることと予想される。
特に、この風景を懐かしいと思う年配の方なら、自身の原風景と照らし合わせたより感慨のある一枚に仕上げてくれるかも知れない。
その視点で見ると、自分などは所詮昭和生まれの端くれであって、ここの展示にあるような生活をリアルタイムで見ていない世代である分、まだまだ思い入れが弱いのかもしれない。それが写真となって現れているとも言えるだろう。
逆に、例えば平成生まれの若人がこの昭和博物館にやってきて、これら昭和の風景を「新しい」と感じるならば、その若者たちの撮った昭和の風景はまたかなり違ったものになるのではないだろうか。
ここにある「懐かしさ」にはそういった期待をも持たせてくれるのだった。
二階には明治から昭和にかけてのおもちゃが展示
二階には明治や大正、昭和の古いおもちゃが展示されている。
ブリキ、木製、セルロイド製、人形やメンコ、昔のレコードや切手、マッチのラベル、映画スターのポスターなどもあった。
また、昭和30年代頃の学校の教科書や当時の年賀状、発行された紙幣なども置かれている。
どれも年代的には古いものながら保存状態が良かった。
ここでもシャッターを何度も切ったのでそれらの写真を羅列してみる。
ただし、昭和らしく撮るという創意はない。
あくまで懐かしさを懐かしむために、またレトロなものの魅力を知ってもらうために、その資料として並べさせて頂く。
こんな感じで展示されている
※画像が赤めのままなのはこちらのミスです。
昭和30年代の教科書
昭和20~30年代の年賀状
昭和40年代の年賀状
比較が面白い。40年代にこういったタッチの少女漫画が流行ったんだろうなと思われる。
マンガも置かれていた
自由に読めるものもあった
読んでみると、名前の知らない漫画家が何人もいた。
それでいて画のタッチはどれもその世代らしさがあった。
現代のマンガはほとんどコミケみたいなタッチのものなので、比べると明らかに違う。
増田屋製ロボット 通称「5ギャング」と呼ばれるもの
1950年代の、しかも海外向けに制作されたものらしいので、自分は見たことも聞いたこともなかった。
ちゃんと5体いた。そのうち一体は相当貴重なものらしい。
ブリキの金魚
田舎で見かけた記憶がある。
ガンダム世代なので、ついでに∀を思い出す。
と思ったらガン消しも置いてあった
昭和をかなり広くカバーしている。
トミカがたくさん並べてあった
車のおもちゃも多く、クルマ好きにはたまらない。
※一階外には第二展示場があり、そこには古い日本車(実車)も数代並んでいるので、クルマ好きはそこもチェックすると良い。
ランボでこんな車があったのか…
こういう新しい発見もある。
二階のテレビではウルトラマンが流されていた
ウルトラ怪獣の人形なども展示されていた。
他にはシャンプー&リンス(シャワラン)の詰め合わせまで展示
シャンプーよりもピンクレディのお二人の方が目立つ。
レコードジャケットでは八代亜紀さんを発見
自分はこの方のファンでもある。
そして意外と多い…
百恵ちゃんの写真
勝手ながら館長と気が合いそうな気がしてきた。
まとめ
これらの画像は一部だ。
展示数が多すぎてすべてを紹介することは不可能であるし、本当に懐かしみたいなら実際に足を運んだほうが良いと思うので、するつもりもない。
おかげで資料として画像を上げるとしながら、後半はだいぶ自分の趣味が出てしまったものになってしまった。
でも、そんなものであると思われる。
思えば昭和は63年(プラス数日)も続いたのだ。
一口に昭和と言っても広い世代(三世代くらい。または四世代)が生きていた時代だ。それぞれの世代で懐かしむポイントが異なって当然だ。
いや、それぞれで懐かしむべきだと思われる。
同館の展示数ならそれが可能だ。
そして、そんな中でも、親子くらい、また祖父母くらい世代が離れていながら、ともに懐かしいと思えるものがあれば、それはそれでステキであると思われるし、昭和の懐の深さだなとも思われる。
最後に、順路を回っていった先の一階の売店を紹介したい。
レプリカ製品などが売られている売店だ
ほかには駄菓子屋や祭りの時の露天で売っているようなおもちゃも売られていた。
また、昔のレコードも売られていて、それを再生するプレイヤーも置いてあった。
これはちょっと欲しくなった
自分はリアルタイムで山口百恵を聞いていない。
ある年齢を過ぎた頃、新しい音楽を聞くよりも昭和の歌謡曲を聞く方が良いなと思うようになって、その時にハマったのが百恵ちゃんだ。当時自分が生きていたら間違いなくファンになっていただろうと思う。
なぜそう昭和の歌謡曲に魅力を感じるようになったのかは自分でもよくわからない。彼女たちの魅力なのか、それともそれこそ「昭和」というものがそうさせるのか。
自分より下の世代が、自分と同じようにこの時代の音楽を好きになることがあるのだろうかと、まとめながらふと考えた。
もしそのようなことがあるなら、昭和という時代は本当にいいものが作られていた時代であったのではないかと思う。
一過性ではなく、普遍性の魅力を探る上で、昭和というものが一つの資料になるのではないかと、そう考えるのであった。