粟津温泉からゆのくにの森へと向かう県道11号線沿いに上荒屋八幡神社がある。
そのあたりを歩く機会があったので、ついでに立ち寄っていつものように参拝&狛犬を撮りに行ってきた。
こちらがその上荒屋八幡神社
上荒屋町にある八幡神社だ。
あとで知ったことだが、この神社、以前、当ブログでも紹介した戸津八幡神社と同じ宮司さんが兼務しているらしい。
その兼務している宮司さんというのが、これまた当ブログでも紹介した那谷寺境内にある若宮白山神社の宮司さんだった。
同宮司さんは、ほかにも小松市内、また加賀市内のいくつかの神社も兼務していた。
若宮白山神社以外ではあわせて13の神社を兼務しているようなのだ。
だからなのか、このとき神殿には誰もおらず、拝殿のガラス戸も鍵が閉まっていて中には入れなかった。お賽銭を入れれなかったので、なしで参拝した。
新しい狛犬
さて、この鳥居、なかなか新しい。
どうやら数年前に建立されたらしい。
だからなのか、その背後にいた狛犬も新しかった。
吽形の子連れ狛犬と
玉を持った阿形の獅子だ
いわゆる岡崎現行型と呼ばれる、神社でよく目にするタイプの狛犬だ。
台座に彫られてあった年数を見ると平成27年に出来たもののようだ。
平成なら、そりゃ新しい。
新しいからか、顔も可愛らしくてマンガみたいな趣がある。
母子ともに眼球や隈取りの赤いラインがしっかり残っている
爪や牙もしっかり白い。
獅子だってそうだ
その色の残りっぷりが同じと言うだけで、親子だなと思えてくる。
実は他に2対の狛犬がいる
ところで、同神社の狛犬はこの1対だけではない。
新しすぎるなと思っていたら、拝殿から見て別の方角には他に鳥居があり、そこにも狛犬がいたのだ。
そちらはまだ年季が入っていた。
年季がありすぎて海千山千のような怪しさまであった。
おまけに1対ではなく2対いて、それぞれで目や表情が怖いのだ。
もう一つ(正確には二つ)の鳥居
先程の鳥居をくぐって拝殿へと登り、そこで右に折れるとこの鳥居へとたどり着く。
その古さを考えると、もしかしたらこちらの方が上荒屋八幡神社の正面になるのかもしれない。
もう写真でも見えているように、奥の鳥居の傍に狛犬がいる。
こちらも子連れ狛犬で獅子は玉を持っていたが、先程の平成27年生まれの狛犬と比べて表情、特に目つきに可愛らしさがあまりない。
こう書くと失礼で罰当たりになるのかもしれないけど、そう見えてしまうのだから仕方ない。
それが、
これらだ
どうだろうか、この目つき。
子持ち狛犬も玉を持った獅子も、むっちゃガンをくれてくる。
横顔を撮っても…
ガンつけてくる。
というか見下ろしてくる。
その子供も…
ちょっと尋常ではない異様な目つきをしてくる。
大人が子供の悪口は言うものではないけれど、そう見えてしまうのだ。
ここで改めて母ちゃん
がっつりと睨まれている。
「文句あんのか?」と言われているようだ。
母ちゃん恐ろしや。
父ちゃん役の獅子はもっといかつい
「食うぞ」と脅されているかのようだ。
地獄の鬼のようで、地元のヤンキーのボスのようで、いかついばかりで愛嬌がほとんど感じられない。
まあ、この愛嬌のなさがかえって愛嬌とも言えるのだけど、一般的に見てかわいくはないだろう。
毬(玉)も色が落ちて…
なんだかボロボロ。
調子に乗っているとお前もこうなるよと無言で語られているような気さえする。
それでいて爪が可愛らしいから、ちょっとズルい。
憎みきれないのだ。
ナマ言ってんじゃねぇよ、あ~ん?
そんな声まで聞こえてくるけどね。
とまあ、どこから撮ってもガンつけられる画になってしまう狛犬たちなのだ。
いや~ おっかない、おっかない。ユニークな狛犬たちだ。
石段を登った先では笑ってくるような一対が
ユニークなんて思って石段の登っていくと、その登りきったところにもう一対の狛犬がいる。
こちらはさらに古く、その形は戸津八幡神社で見かけたものと形も大きさも似ていた。
ただ、一つ前のガンくれ狛犬の後だからか、こちらも表情が普通ではなく見えてくる。
なんだか
笑われている
ガンつけられて戸惑っていたな?
そんな声が聞こえてくるような笑みをしているのだ。
アップだとますます笑っている
しかも海千山千のいやらしさのある笑みだ。
こうして下から撮るとこちらを馬鹿にしているようにも見えてくる。
憎たらしいくらい歯並びもいいじゃないか。
爽やかに笑っていると見ようと思えば見えなくもないけれど、爽やかだと断定できないのは、目つきとのバランスだろうとう思うのだが、いかがだろうか。
何にせよ、同じようなタイプの戸津八幡神社の方はまだ小ぶりの可愛らしさが顔からも全身からも出ていたのに、印象が随分と異なることは確かだろう。
爪先などは愛らしい
そういうギャップもまたズルい。
ちなみにこちらの狛犬たちは左が口を開けた阿形の獅子で右側が口を閉じた吽系の狛犬だ。
作り手がひねくれていたのだろうかと、そんなことまで考えてしまった。
まとめ
いずれにせよ、特徴がなさすぎる狛犬よりも、こういう脚色ができる狛犬のほうが魅力的であることに間違いはない。
いや、あらゆる神社の狛犬たちは、たとえ小さくてもそれぞれでドラマを持っているものだ。自分としては、今後もそんな小さなドラマを引き出していきたいものである。
それが狛犬写真家を自称しようかと目論む自分の、今後狛犬を撮る時の一つのスタンスになれば良い。
まったく余談だがこの神社には「馬」の像もいる
馬は一体だけだ。
目つきがいかつい狛犬と怪しく笑っている狛犬の中間あたりにいる。
こちらは優しい顔をしている
いや、ただ、普通に馬の顔なのだろうけど、この神社であの目つき顔つきを見た後では普通が普通でなくなるのだ。
印象って不思議だ… というか危うい…
勝手に脚色、ドラマを引き出すなんて手前勝手に言ってみたけど、その際は狛犬たちのことも考えて結構責任を感じないといけないとも思うのであった。