湯楽温泉と湯涌温泉の別れ道で
金沢の中心街から湯涌温泉へと向かい、県道10号を走っていると、湯涌温泉と湯楽温泉との別れ道に差し掛かる。
その別れ道のすぐ近くに神社があるわけでもないのに狛犬がいるのをご存知だろうか。
車を運転中にそれを見つけ、気になっていたので後日撮りに行ってきた。
このY字路だ
看板のとおり、左に行けば湯楽温泉に向かい、右に曲がると湯涌温泉へと向かえる。
このY字路少し手前に、石碑とともに狛犬がいるのだ。
狛犬だ
狛犬というと神社や、ときに寺などにいて、その社を守っているものだが、ここではその背後に神社などはいっさいない。
写真でもわかるように石碑があるだけで、さらにその背後は山、傍には民家しかなかった。
その狛犬たちから守護されている石碑というのがこちらだ。
岩に囲まれた石碑だ
積み上げられた岩の上にはさらに胸像も見える。
近寄ってみると名前も彫られていた。
北尾翁之像とある
石碑に寄れば「北尾榮太郎」という名の方だった。
調べてみると、金沢大学がある角間や戸室、湯谷原はかつて「金浦村」(かなうらむら)と呼ばれており、北尾榮太郎氏はその4代目の村長を務めていたとあった。
また、この近辺はかつて湯ノ谷村(ゆのたにむら)と呼ばれていて、榮太郎氏はその2代目村長も務めている。
1907年にはその金浦村と湯ノ谷村と、あと医王山村が合併して浅川村が誕生し、その浅川村も1957年には金沢市に編入された。
榮太郎氏は湯ノ谷村やその近辺の整備に尽力し、金沢市への編入交渉にも貢献していたそうだ。
この地域の名士のような方だったわけだ。
そりゃ、胸像も立つ。
そしてそれくらい名望のある方の胸像は、このように狛犬に守られることになるのだ。
そこが羨ましく、憧れてしまう。
その狛犬を見てみよう
左側の吽形の狛犬だ
左側に吽形は一般的な狛犬の配置だ。
その狛犬の種類も、よく見られる岡崎現代型と呼ばれるものだろうか。
顔のアップ
吊り目で半月型の目をしている。
比べて鼻はブタっ鼻のように潰れていて、耳は垂れているから、怖さと慈愛両方を感じさせてくれる。
例えるなら肝っ玉母ちゃんのようなものだろう。
爪が意外に鋭い
風化もあまりなく、作られた当初の鋭さが残っている。
阿形より鋭いんじゃないかと思えるほど、キレイに残っていた。
背中
この背中にはたくましさと哀愁が混在して見える。
この場所は狛犬からして前方200°近くが開けているから横からの太陽光も当たりやすく、夕日なども背負いやすいのだ。
彫られ方としては肩から背中にかけての筋肉の隆起も見える。かつ尾っぽがバケモノというより中型犬のそれのようで愛嬌がある。
このギャップがニクい。
阿形の獅子も見てみる
撮った角度もあると思うが、吽形と比べると胸板が厚い。
えらい鳩胸だ。
男盛りがムンムンとして、プロレスができそうだと妄想してしまう。
そして、開いた口にうまいこと枯れ葉が乗っている。
裏が山なので大量に舞い散ってくるのだろう。
傍目には、なんとまあ食欲旺盛な獅子だろうかと見えてしまう。
ということで横顔アップ
よく見ると鼻のあたりにヒビが走っている。
もしかしたら一度崩れたかもしれないヒビの入り方だ。
鼻をもがれようがムシャムシャと葉っぱを食べているようで勇ましいものだ。
こう撮るとますます食欲旺盛のよう
移動する車を捕食せん勢いだ。
断っておくが、まるで合成のようで合成ではない。
シャッターを切っている時に偶然撮れたのだ。
前が開けて車道があるここの狛犬らしい写真だろう。
調子に乗って吽形の方でも同じような画を狙った
狙ってやると、これがまた難しかった。
車が前を横切るのを待ってシャッターを切ったわけだが、連写無しではまあタイミングがとれない。
そして確認して、閉じた口では車に接吻しているような画にしかならないもので、「捕食」と比べるとパワーに欠けると気付いてすぐに撮るのを諦めた。
自分は計算通りやったり狙ってやるよりも、一期一会の偶然の一瞬のほうが性に合うと思う。
そもそもここの狛犬たちも偶然見つけたのだ。
この偶然がわらしべ長者のように何かの縁となって、将来名士にならなくとも自分の死後に狛犬に守られるような形で墓でも立つようなことにならないだろうかと淡い期待を胸にいだいた。
まあ、そんなことにはならないと思いますが、それくらい、この時の自分は狛犬に守られている「北尾翁」の像が羨ましかったのである。