石川県小松市にある「那谷寺」は平成二十九年で開創一千三百年になる。
1300年前というと養老元年(717年)だ。
その年に泰澄法師が千手観音を安置したことが、この寺の始まりなのだそうだ。
ということで那谷寺では1月より開創一千三百年大祭が行われている。
1月の開創記念初護摩祈祷に始まり、4月9日には御本尊十一面千手観世音菩薩御開帳と、御柱立柱祭が行われた。
大祭案内が書かれた看板があった
大祭は4月に集中している。
自分はこの度、4月9日の御柱立柱祭を見に行った。
少し遅れて到着
10時開始のところ、自分は10時少し過ぎに到着したのですでに祭りは始まっていた。
駐車場に入ろうとすると見物客(参拝客)で溢れていて、人々の間を誘導員に導かれながら進むことになった。
有名人が事件を起こした時、犯人を乗せたパトカーが大人数のマスコミの人たちに囲まれている映像を目にするが、そのときのパトカーの運転手の気持ちってこんな感じなのだろうかと思った。
少しでもスピードを出そうものなら車で人間を轢いてしまいそうなのだ。
全く蛇足だが、「轢く」ってどうして「車」へんに「樂しい」なのかいまでも謎だ。
なんとか駐車して会場の方に向かう。
会場は那谷寺入口の前
すでに御柱が一本立っていた。
写真右側には纏も見える。
そのさらに右側では「梯子登り」(はしごのぼり)が行われていた。
しかも演技しているのは小学生たちだった
女の子もいた
この技、「邯鄲夢枕」というそうだ。
大人でも難しい技をする子も
こちらは「二本火の見」という技だそうだ。
最後は三人で
垂れ幕には「西尾っ子鳶」とある。
小学生ながら見事な演技だった。
御柱立柱へ
梯子登りも終わると、いよいよ御柱を立てる。
こちらが動き出す御柱
儀式として法螺貝を吹いたり、護摩法要を行ったりしたあとに人力で立てることになる。
法螺貝吹きます
地中に埋まるところが1.6メートル、地上5.6メートル、重さは1.5トンの柱だ。
下から伸びたロープと御柱の先端が繋がっていて、そのロープを大勢の人で引っ張ることで持ち上がっていく仕掛けになっていた。
皆さんで引っ張る
棟梁の「エェ~イ」(×3)という掛け声のもと、引っ張っていた。
持ち上げられていく
まわりにはクレーン車も待機していたのだが、人の手でやるからこそ意義がある。信仰の点でも祭りという点でも意義があろう。
自分の目にはあえて人の力を使うことで、人間の力の可能性を再確認できた。
力をあわせることの強さや、そこから生まれる地元民たちの絆も垣間見えた。
途中、煙でスゴいことになったけど…
燃えていたのはこの緑色の塊
煙がでるので見物客、ならびにテレビ局のカメラマンたちは近寄りすぎないように遠ざけられていた。
風下に立つと煙に呑まれるらしい。
運良く自分が立つ場所に煙が流れてはこなかった。
そのうちもっとスゴい煙に
住職さんたち大変そうだった。
お客さんの中にはムセていた人もいた。
燃えだす頃には御柱も垂直に
この頃、副住職の方が弓の準備をしていた。
東西南北云々、結界をなしたもうと言っていたので、おそらく結界を張るため矢を放つ訳だ。
放たれた
どうでもいい話だがこのとき「超弾動真空波」という言葉が自分の中でよぎった。
この言葉の意味が理解できる人は自分と同世代だ。
矢は空高く打ち放たれて、弧を描いて見物客の方へと落ちてくる。
矢はお守りになるので、拾えた方はどうぞお持ち帰ってくださいとのアナウンスがあった。
しめ縄で繋ぐ前に刀を用いた儀式も
写真では見づらいが日本刀を振っている。
いよいよ、しめ縄も
このように巨大な栓抜きのような形をした道具を用いて下から持ち上げる。
柱の上の方に別の方が待機
この方、柱に回している輪っかを使って、ほんとスルスルと御柱を登っていった。
その速さは歓声が上がるほどだった。
このように繋いでいく
クレーン車を一部使っているものの、基本的に人力だ。
というか曲芸だ
梯子登りの技かと思った。
この人、やっぱりスゴい。
職人というのはやっぱりカッコイイ。
そのころ住職は何かを読み上げている
仏教の言葉は、正直難しい。
仏教の勉強をしていないとなかなかわからないのでその内容は割愛させて頂く。
そして出来上がってくる
同じ頃、副住職はふたたび弓の準備をしていた。
また放つわけです
矢の準備をしている隣の方が殊勝で、なんだか同情、というか妙な共感を得てしまった。
構え
写真でもわかるように御柱のしめ縄がすでに結い終わっている。
大鳥居の完成したのである。
発射!
と同時にクラッカーのような音が鳴って、紙テープが宙へと放たれた。
よくわからないけどなんかキレイ
よく見ると紙吹雪まで舞っているし、この今どきらしい演出は意外だった。
那谷寺、1300年続いているけど、伝統を受け継ぎながら現代の趣向もちゃんと取り入れているようで、懐が深い。
このあと、副住職はまた四方に矢を打ち上げていた。
実は、そのうちの一本がカメラを構える自分の頭の上の方に飛んできた。
キャッチしようか、カメラで撮ろうか迷っていると、「構え」の写真右下に写っているご老人の頭に当たって地面に落ちた。
その落ちたものを隣りにいた女性の方がゲットしていた。
こちらがその矢
ご利益ありそうだ。
ちなみにこの女性ならびにその友人たち、また周りの人たちは皆いっせいに矢が頭にあたった老人の方を心配していた。
どうやら当たったと言ってもかすめただけのようで、ご老人はピンピンとしていた。
「ちょっと見せてくれ」とその矢を拝借してまじまじと眺め、次には笑っていた。
獅子舞に導かれて
さて、御柱立柱によって大鳥居が完成すると、次には地元の那谷青年団による獅子舞が始まった。
わくわかしく演舞
この青年団の方々、かなり若かった。
見たところ高校生くらいではなかったかと思われた。
ひと通り踊り終えると、その獅子舞に導かれながら、住職、宮司、そして我々見物客(参拝客)も大鳥居をくぐることになる。
宮司さんと住職が続き
我々も
こうしてみるとなかなかの数だ。
このまま大鳥居をくぐり、そのまま境内へと入っていけた。
普段、那谷寺は境内に入るときお金がかかるが、このときは大衆の波に乗っかって払うことなく入っていけた。
良かったのだろうか? まあ、良いか。
余談だが、Wi-Fiフリーだ
那谷寺、やはり今どき&懐が深い。
山門を抜け、境内に入ってすぐ左に曲がると金堂華王殿があり、そこには十一面千手観世音菩薩の巨大な像が安置されている。
その像の前は撮影が禁止されているので写真はない。
代わりではないが、この開創一千三百年にあわせて金堂華王殿(けおうでん)の前に新しく柱が立っていたので、それは撮ってきた。
その柱
全体図は写真のとおりだが、注目すべきはてっぺん辺りに結われている紐のようなものだ。
クローズアップ
紐のようなものが結われ、それがお堂の方へと伸びている。
寺の関係者の方の話によると、どうやらこれ、中で安置されている巨大な十一面千手観世音菩薩像の手とつながっているそうだ。
実際、自分も参拝してこの目で確かめてきたところ、確かに像の手へとこの紐が伸びていて結び付けられていた。
この柱に触れるということは、つまり十一面千手観世音菩薩と繋がるということだそうだ。
ということで触れた
千の手はどんな衆生も漏らさず救済するものだそうだ。
いろいろ救ってください。
最後に本殿にも
本殿にも足を運ぶ
本殿こと「大悲閣」(だいひかく)にも立ち寄った。
開創一千三百年大祭の一つである「御本尊十一面千手観世音菩薩御開帳」はここで見ることができる。
金堂華王殿の巨大な像はいつでも見ることができるが、こちらの本尊の方は33年に一度しか見れないと言っていた。
本尊の方は小さな像だった。
そして恐ろしく年季を感じる像であった。
その前には神社で見られる鈴があり、その鈴と像とが繋がっているとも言っていた。
紐を引き、鳴らすことで、ここでもまた十一面千手観世音菩薩と繋がることができたのである。
(この本尊の方の御開帳は、この四月九日から十月三十一日まで続いています)
最後にもう一度大鳥居
御柱立柱祭にも立ち会えて、出来たての大鳥居もくぐることが出来て、おまけに33年に一度の本尊の十一面千手観世音菩薩も開帳日に見られて、それらとも繋がることが出来て、おかげでなんだか救済されそうな気がしてきた。
何から救済されるかは不明だけど、そのあたりはアバウトでよろしく願いたい。
いずれにせよ充実感だけは確かであった。
いいものを見れた。
最後に御朱印も
11月に行ったときにももらってきたが、今回改めて御朱印を頂いた。
開創一千三百年記念の御朱印であった。
やはり、何かいいことがありそうな気がする。