ツクシを探す
日本人でツクシを知らないという人は、まあいないだろう。
「土筆」とも書く筆型のアイツだ。
筆の部分である頭を取ってしまえば天ぷらにして食べることも出来るありがたい春の風物詩だ。
4月になってだいぶ暖かくなってきたので、朝からカメラを抱えてそのツクシの写真でも撮ろうと考えた。
春になったら、土のある所どこにでも顔を出しているものだと自分の中で勝手にイメージしていたので気軽に考えていたのだが、いざ探してみるとこれがまたなかなか見当たらなかった。
ちなみに場所は「しいのき迎賓館」付近だ。金沢城や兼六園の真ん前だと考えてくれて良い。
しいのき迎賓館を横から
たしかに、このあたりでは桜もまた開花していなかった。
いくらツクシとは言え、早すぎたのだろうか?
これは気になった。
気になった上に、見当たらないなら見当たらないでかえって探したくなった。
自分はそういう性分である。
ということで、時間が許す限り(出勤前だった)さらに探してみることにしたのであった。
小川の傍もチェック
菊の仲間などは植えられていても、ツクシはいなかった。
金沢城の石垣の方まで歩いてみた
ここでもツクシは見当たらなかった。
なかなかいないのである。
雀(スズメ)は寄ってきてくれたけど…
土筆は見かけない。
余談だが、地面に視線を落としながら歩いていた自分は、路面の食べ物を啄みながらヒョコヒョコと寄ってきたこのスズメに妙なシンパシーを感じてしまった。
むしろマツカサが落ちていた
しかもマツカサ、この一個だけではなく何個も落ちていた。
4月も頭だ、もう春だと思っていたのに秋だろうかと錯覚した。
それにしてもいない。
自分が子供の頃は近所の緑地公園に行けばわんさか生えていて、そこで摘んでいるだけで家族が天ぷらにして食べる分は採れていた。
もしかして、土筆って減少しているのだろうか?
これも時代だろうか?
そう思った。
それでも粘り強くしいのき迎賓館回りを観察しながら歩いていると、「アメリカ楓通り」と呼ばれるところでようやく見つけた。
一本見つけた
でも一本だけだ。
写真としては、影も入れられたのでそれなりに満足はしているけど、この付近には一本しか生えていないのだからなかなか寂しいじゃないか。
迎賓館の反対側でも探した
こちら側の方が日当たりが良さそうな気もした。
実際、こちらの方で数本、見つけることになる。
群生だ
やっとツクシらしい画になってきた。
ただ、数はそれほど多くはない。これらの写真に写っている限りしかいなかった。
花と撮ってみた
花のそばに生えていたものもだ。
ツクシはそもそもスギナの地下茎から生えた胞子茎のことだ。
スギナと言ったら地獄草とも呼ばれるくらい根が深くて、おまけわんさか生えてくるものなので、普通なら周りの花なんかも隠してしまうようなイメージなのに、これでは逆に花のほうが強そうだ。
立場逆転と言うか、勢力が凋落(ちょうらく)したというか、ここでもう一度、つくしっていうのは数が減ったのだろうかと思えた。
翌日にも探す
本当に土筆は減ったのか、しいのき迎賓館辺りではもういないのか、そのことを確かめたくて翌日も朝からこのあたりをカメラを抱えて歩いてみた。
この日は金沢城の方へと向かった。
あそこは石垣を階段を使って登っていくと山に入ったかのように緑が茂っている。
はい、このとおり
緑があって、土があればツクシも生えていそうだ。
そんな安直な考えで登っていた。
そして、見つからない
そう思い通りにはいかないようだ。
さらに登っていくと、そのうちこの城の三十間長屋の方へと出た。
右に見える建物がその三十間長屋
写真で言うと左側に見える階段を登ってきた。
そして写真左下に見える緑の土手のところで、ようやく土筆を見つけた。
しかも群生
これぞツクシの正しい生え方であろう。
そう思えるくらいよく生えていた。
天ぷらにする際もこれだけあれば足りよう。
もっとも、柵とロープが設けてあることからわかるように、入っちゃいけないので勝手に採取はダメだ。怒られるだろう。
ということで撮影に専念
アップで撮ると、頭の部分がなかなか生き物じみて見えてくる。
ちょっと変わったものも見つけた
たけのこ… じゃないよね?
三十間長屋の周りは春らしいものがいろいろと生えている。
桜もあった
まだ三分咲きだろうか。
金沢城で小さな春の息吹を感じ取りたいなら、この長屋付近にやってくると良いかもしれない。
まとめ
ツクシは減ったと思ったものの、探せばいまでも普通に生えているところがあるとわかった。
地獄草とも呼ばれるその生命力の高さは舐めてはいけないのだろう。
帰りにこんな姿も撮った
ツクシをナイトショットだ。
お日様に向かって生えている印象があるツクシをあえて日が暮れてから撮った。
こちらは家の近くの道に生えていたもので、明りは近くを通った車のヘッドライトだ。
地獄っぽさを演出しようとして、どちらかというとダークサイドに落ちましたと言った画になった。
それでも一番良いかもと思えたのだから、つくしの本性を見た気がした。
ツクシはこの時代でも、したたかにたくましく生きているようだ。