先日、気多大社に行った
何かイベントが行われていたわけではないが、足を運んだ。
目的は、狛犬を撮ることだった。
最近、自分は世の中の狛犬がかわいく思えて仕方がない。
普段から水族館や動物園を調べることが多く、そのせいで動物好きになっていることがおそらく起因していると思われる。
自分の目は、神聖な狛犬も、動物を愛でるように見てしまっているのである。
カメラで撮りたいという衝動もあり、以前から少しずつ撮っている内に、いっそ「狛犬写真家」を目指そうかとも思ったくらいだ。
この気持ちがどこまで本気なのか自分でもよくわからないが、何にせよ撮りたいし、撮らなければ何も見えてこないという理由で神社までやってきた。
気多大社を選んだのは、以前よりずっと行ってみたいと思っていたからだった。
気多大社は緑が多く、緑が綺麗な神社だった
そして、
いた…
狛犬がいた。
正面から右手にいるのが「阿形の獅子」で、左側にいるのが「吽形の狛犬」。
特徴としては阿形が口を開いていて、吽形が閉じている。
いわゆる「阿吽(あうん)」だ。
このスタイルが主流で、だいたいの神社はこの阿吽の形をしているそうだ。
もちろんこれ以外もある。
それにしても堂々としたものだ。
どうにかして格好良く撮ってやりたいと思ったので、初心者ながらあれこれ考えて頑張って撮ってみた。
緑が眩しいぜ
空も眩しいぜ
気多大社では、吽形の周りに木々があり、木陰になることが多い。
比べて阿形の周りは空が開けていた。
後ろ姿も、吽形は木陰を背負い
阿形は日差しを背負っている
意図してそうしているのかは不明だが、こういった演出(差異)は自分好みだ。
胸筋も見事だ
ここの狛犬たちは胸の反らしっぷりがいい。
脇あたりの赤いラインがどうして出来たのか、気になった。
機会があればいつか聞いてみたい。
爪もかわいい
上が吽形で下が阿形のものだ。
こうしてみると、鋭さが微妙に違う。
見えづらいが肩にカエルが乗っている
この光景は日陰にいる吽形ならではだろう。
ちなみに、
土台には「昭和四十年十二月」と彫られていた
もう50年以上経っていることになる。
全身、風雪に耐えた味わいが程よく出でいる。
我ながら、かなり満足だった。
参拝もする
さて、そのまま帰ろうかとも思ったが、参拝もせずに帰るのでは失礼だと思い、気多大社神門をくぐって本殿の方にも足を運ぶことにした。
と、その前に、
手水も撮る
狛犬だけじゃなく、手水写真家も自称してやろうかと密かに企んでいる自分
こちらの手水だが、龍などがいない。
T字だ。
シンメトリーもなかなか美しい。
改めて、神門をくぐる
柱の側に巫女さんがいたのだが、順路などを簡単に説明してくれた。
こういうサービスが有るところ、さすがに大きな神社だなと思った。
でも、人出が足りていないのか、この日は参拝者が少ないながら、あっちで呼ばれ、こっちで呼ばれで、駆け足で対応していた。
暑かろうに、なかなか大変だ。
くぐって左手に行事の写真などが展示されていたので見学した。
そして正面の拝殿でお参りもした。
右手の帰り道から帰るのが、巫女さんが教えてくれた順路だった。
絵馬の数も多い
この写真、フォーカスの位置を誤った…
絵馬所の脇を抜けると、より木々の多いところに入っていく。
「入らずの森」というらしい。
入ってすぐのところに楊田神社の古い鳥居がある
楊田神社とあるが、社殿はない。
ほかにも太玉神社というのが森の中にあった
そこにも…
狛犬がいた
先ほどと比べると小さい。
顔つき、目つきが妖怪じみているが、かわいい
こちらはでは阿形が日陰にあり、吽形がやや日なたにいた。
日が傾いていけば、また見え方も変わっているかもしれない。
手も小さい
足の裏の肉球を想像できてしまうくらい、かわいい。
引いて撮るとこんな感じだった
阿形の横顔が人の顔に見えてくる。
近くには「むすび神苑」と彫られた岩もある
この岩の上に小石を乗せると幸があるらしい。
さらに菅原神社というのもある
手前の橋は「合格橋」というらしい。
受験生がここを通り参拝すればご利益があるらしく、受験生と思われる子とその両親が参拝していた。
自分は受験生ではないが、橋をわたってお参りした。
菅原神社の前も過ぎると、本殿前の神門の辺りまで戻ることになる。
こんな看板も立っていた
なかなか霊力(いまどきの言い方をすればマイナスイオン)を感じる森だった。
ほかにも、境内には「だいこく像」が祀られていたので寄った。
何だか畏れ多かったので斜めに撮ってしまった
もちろん、ここでもお参りだ。
最後に…
御朱印帳を買った
御朱印帳を買うのは、人生でこれが初めてだ。
御朱印が一部でブームになっているので、乗ってしまった。
もちろん初「御朱印」
おまけにこれも頂けた
「氣多の氣」とのこと。
「入らずの森より授かりし氣」らしい。
そういえば太玉神社の狛犬の足元にも「氣」と書かれた絵馬があった。
この霊力(マイナスイオンかもしれない)をわけてもらえたわけだ
狛犬を撮りに行って、ついでに参拝して入った森のなかで「氣」を見つけ、帰り際に御朱印帳を買ったらその「氣」をわけてもらえた…
狛犬から始まったこの因果…
どう頭のなかで咀嚼してしまったのか、
「やはり狛犬写真家を自称した方がいいかもしれない」
と、こんなことを思ってしまった。
一時の気の迷いかも知れないが、「氣多の氣」を目にするたび、しばらくそう思い続けることだろう。