初心の趣

カメラ初心者の石川県人が同県を中心に地方の変わった魅力を紹介しています

狭い路地を進む石崎奉燈祭の巨大キリコを追いかけた

8月4日、七尾市の石崎町で行われていた奉燈祭を見に行ってきた。
巨大なキリコが狭い町中を進むさまを追いかけながら撮影してきたので、その写真をまとめたい。

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和倉温泉駅前の石崎町

のと鉄道和倉温泉駅」前あたりに石崎町というところがある。

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石崎町

この道を奥へと進むと和倉温泉だ。

後方が駅になる。
和倉温泉からは少し離れているけれど、温泉街から歩いてやってこられない距離でもない。
実際、宿泊客だと思われる浴衣を着た観光客も何人か見かけた。

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駅のポスト

駅前のポストには「わくたまくん」がいた。
和倉温泉のマスコットだ。今年の10月10日で誕生10周年なんだそうだ。
この駅を背に、右手に進んでいくと提灯がいくつもぶら下がっているので、それに沿って歩いていくと町の中心の方へと行ける。

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駅のロータリー出口より

写真でいうと右手に駅がある。

町の中心の広場まで、ここからそれなりに歩くことになる。

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他にも歩いていた人がいたのであとを追いかけた自分

石崎奉燈祭は朝からやっており、18時に一度夕食の休憩が入って、20時より夜の奉燈祭が始まる。

自分が到着したのは19時くらいで、この頃なら臨時駐車場もまだ空いていた。

そこから少し待機して自分が動き出したのが19時40分過ぎくらいだったと思う。

町の人もこの頃には再び動き出しているので、その方々の後を追いかけていくと数基のキリコが待機する広場に自然と連れて行ってもらえるのだ。

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ここまでくるともう近い

後ろの看板には「運行中は危険ですから、奉燈から離れて見物して下さい」との文字もあった。

この石崎奉燈祭のキリコ(奉燈)は能登地方の中でも最大級に大きいので、巻き込まれると本当に危険だ。

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そのうちそんな切籠も見えてきた

まだ距離が離れているのに家々よりデカイのがわかる。屋根より頭一つ飛び抜けているのだ。

大きな切子燈籠が弁天湯前の広場に6基揃っていた。

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近寄ってみるとさらに大きいのがわかる

ついでにギャラリーもそれらを囲むようにすでに大勢いた。

自分がこの場に到着したのはほぼ20時で、夜の切籠発進の合図であろう花火も2~3発打ち上げられていた。

それにしてもカラフルだ。

以前、輪島のキリコ会館に立ち寄ったときに学んだが、切子灯篭は「後ろ美人」と言われているそうだ。

キリコ会館に行ったときの記事はこちら

後ろ側に描かれた吉祥絵(奉燈絵)がどれも鮮やかで迫力もある。

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ついでにいうと乗っている子たちも派手だった

サイリウムだろうか、縁日に売っているような発光している首輪や腕輪をいくつも身に着けている子ばかりであった。
この子たち、その格好でキリコの上で笛を吹いたりしていた。


動き出すキリコ

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担がれ動きだす奉燈

20時もすぎると広場では1基、また1基と動き出していた。

10メートル以上ある大きなキリコなので担ぎ手もこのように大勢だ。

100人くらいで担ぐんだとか。

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綱を引いている人

大きな切子燈籠のバランスをとるため、このように4方から綱を引っ張っている。
傾いたり流れたりで危ないときはかなり力が入っていた。気楽そうに喋りながら移動している綱の引手の方が多かったが、いざというときは結構大変そうだった。

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広場の中央に神輿がいた

広場は「堂前」と呼ばれていた。その中央に神輿があった。

提灯には「八幡神社」と書かれてあった。

宮司もいて鼓を鳴らしていることもあり、巨大なキリコたちはまずこの神輿の周りを一周してみせていた。

広場も決して広いわけではなくこれだけキリコも大きいので一周するだけでもかなりの体力が必要であり、正確に寄せたり曲がったりするテクニックも必要だ。

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真剣に、かつ楽しそうに担ぐ男衆

掛け声も揃えて男たちが2トン近い重さのキリコを持ち上げ、少しずつ移動させていた。

掛け声は「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサイ」と自分には聞こえた。

低音でどこかセクシーなボイスで掛け声を揃えてくるので、むちゃくちゃクールだ。

持ち上げるときの「そぅりゃ」とういう声からして男の色気を全員で醸してくる。

今まで見てきたどのキリコ祭りよりも掛け声がいいなと思った。

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キリコが通った跡の道路に紙吹雪

何だこりゃと思ったら、どうやら紙吹雪だった。

この堂前の神輿の周りを一周した後、地面の上で散っていた。

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と思ったら、切子燈籠から紙吹雪が発射

パンッと音がしたと思ったらこのように二方向で紙吹雪が舞っていた。

奉燈絵のあたりに仕込みがセットされていたようだ。

なんか、やることがいろいろと派手だ。

 

狭い路地を進むキリコを追いかける

さて、そんなキリコたちだが、そこからどこへ行ったかと言うと…

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こんな道に入っていく

家屋が並ぶ狭い路地を進んでいた。

高さ12メートル以上、重さ2トンくらいの巨大なものを100人くらいの男たちが担ぎ上げながら、クルマのすれ違いも面倒臭そうな狭い道へと入っていくのだ。

初めて見る者としては「大丈夫なのか?」と思うと同時に、その無茶っぽさに笑いがこみ上げてきて、その楽しさに後を追いかけたくなった。

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6基すべてが同じ狭い道を進んでいく

写真でも見てわかるように、狭い道に入っていくキリコは1基だけではない。

すべての切子燈籠が列を作って東の方へと進んでいた。

そして、それらをみなして追いかけていく。

追いかけるのはなにも自分だけではなく、ギャラリーの大半がその後を追いかけていたのだ。

惹かれるみたいに追いかけてましたな。

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時々傾いたりもするけど

家屋に当たるんじゃないかというスルリが見ている者にもあった。

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横の家々との距離はこれくらしかない

ときにはもっと寄っていたこともあった。

横に倒れでもしたらまず屋根にぶつかるだろう。

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屋根に登って撮影していた人もいましたが

おそらくその家の方だと思われる。

このように屋根に登って見物していた人は町中で何人か見かけた。

そこから見える景色ってどんなんだろうか?

普通の人とは違ういい写真が撮れそうで羨ましい。

地元の人ならではの特権だ。

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自分は道路反射鏡を使って撮影

人と違うという点でこのときの自分にできることと言ったらこれくらいだったろうか。

こう見てもわかるように、沢山の人があとを追いかけている。

これら人の数からもわかるかと思われるが、自分は最初に追いかけたキリコの前になかなか回ることはできなかった。

狭いところをあんな巨大なものを担いでいるので危なくて、脇を抜けて前に回れるような雰囲気ではなかったのだ。

そのうちこれら切籠がどこに行くかと言うと、石崎町の東の端の方まで行って、6基が縦に並んだ状態でそこで20分くらい休憩を取ることになる。

そうして再び動き出すと、今進んできた道を引き返してまた弁天湯が角にある堂前と呼ばれる広場へと戻ってくるのだ。

さらに今度は町の西の端の方へと6基が進み、端にたどり着くとそこで休憩してまたいまきた道を戻って堂前と帰るということになる。

折り返すとき、それまで殿を務めていたキリコが今度は先頭に回るので、このタイミングで道の端(家々の軒下あたり)に待機していると眼の前を通り過ぎていく切籠を近い距離から一つ一つ撮影することができた。

おかげで6基の切籠の吉祥文字と絵を確認する事ができたので、以下にそれらの写真も並べたい。

 

6基のキリコの吉祥文字と吉祥絵

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休憩中、並んで待機している切子燈籠たち

キリコにはご覧のように絵が描かれている。いわゆる吉祥絵、または奉燈絵とも呼ばれるものだ。

これがキリコの背面にあたり、後方から追いかけているときには見えなかった正面には吉祥文字と呼ばれる願いを込めた文字が書かれてある。

各町、1基ずつそれら絵や文字が違うので、どのようなものが描かれ書かれているのかチェックするのもキリコ祭りの一つの楽しみだ。

(もしかしたら絵に関しては毎年違うのかもしれない)

写真手前の吉祥絵は「西一区」のもので、再び動き出した後は文字の方も確認できた。

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先回りして道路脇で待機していたら近くで撮影できた

担ぎ手から1メートルも離れていない。そんな距離まで近づいてくる。

それだけ狭い道路なのだ。

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すれ違い様に文字も確認

「銀鱗飛躍」と書かれてある。

「鱗」というのが漁師町の石崎町っぽい。

なお、本来、この文字のほうが正面なのだけど、いま来た道を再び引き返す際、道が狭すぎてキリコがUターンできないので、絵が描かれている背中の方を向けながら進んでいた。

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こちらは「西二区」

恵比寿様だろうか。

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ピンクを基調に一段と派手だった西二区

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「満銀燭」と書かれてあった

読み方が不明だ。意味も…誰か教えてほしい。

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こちらは「東四区」

大化の改新の絵だ。

中大兄皇子中臣鎌足とかが蘇我氏をやっつけたやつだ。中学時代に習いましたな。

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その文字は「智仁勇」

儒教で言うところの三徳と言うやつですな。

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こちらは「東三区」のもの

東三区は赤がチームカラーらしい。

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東三区の文字は「志欲静」

輪島のキリコ会館でも見かけた文字だ。

「こころざしはせいならん」(静なることを本心から望んでいる)という意味なんだとか。

キリコ会館にあったものは昔のもののようで、こうして現役のものもみれて感激だ。

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続いては「東二区」

東二区の提灯には「若連中」と書かれていた。

担ぎ手も若い人ばかりだった気がする。

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その絵は浦島太郎

浦島太郎って龍宮城に行ったおかげで何百年と若いまんまだったね。

意味深い絵だ。

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東二区の文字は「福無極」

たぶん、福が尽きないことを意味しているのだと思われる。

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最後は「東一区」

こちらはどういう訳か正面(文字の方)を向いて戻ってきた。

書かれてあるのは「魚満浦」という文字。

正しい意味はわからなくてもなんとなくイメージが湧く。

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絵はこちら

左上の方になんの絵か書かれてあるんだろうけれど、でかすぎて上の方にありすぎて読めなかった。

屋根に登って見ていた方々はちょうど目の高さにその文字がくるのだろう。羨ましい。

 

迫力を伝えたい

眼の前を6基すべての切子燈籠が通り過ぎると、自分は切籠が進行していた通路をそれて裏道を使い先回りをしてみた。

なにせが切籠たちはゆっくり道の真中を進むので、メインの通りを通っていると、ひたすらキリコのケツを追いかける形となってしまう。

それを嫌い、先回りをしては近いところから撮れるようにポジションを確保し、そうして迫力が伝わるような画を撮ろうと試みていた。

以下、近くから撮れたそれらの写真を中心にキリコの写真を並べて、本記事のまとめとしたい。

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近くから撮りたい

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担いでいるところを撮りたい

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ゴジラみたいに撮りたい

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整列を撮りたい

西の端の方に到着した時の様子だ。

ここで20分くらい休憩していた。

これから再び広場の方に戻ることになるのだけど、このときで夜の12時を回っていた。

祭りのパンフレットではこの24時に解散予定となっていたので、だいぶ予定は遅れている。

ただ、毎年だいたいこれくらいゆっくりなんだとか。

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弁天湯とセットで撮りたい

改めて思う、弁天湯の2階って絶好のビュースポットなんじゃないかと。

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堂前で神輿も撮りたい

キリコたちが戻ってくる前の、周りが空いているときに撮影。

近づいてみるとかなり立派な神輿であるとわかった。

f:id:seisyunsanka:20180817001645j:plain神輿とキリコを一緒に撮りたい

奉燈が続々と戻ってくる。

町の中を東に行って戻ってきて、そこから西に行ってまた戻ってきたところだ。

このあと神輿を中心に6基の切籠が並び、そうして解散となっていた。

このときで夜中の2時半過ぎくらいだった。

解散するとそれぞれの奉燈はそれぞれの方角へと帰っていく。

もちろんそのときも担いでいくわけで、担ぎ手の男衆の皆さんの体力に驚かされる。

自分なんかは最後の方、カメラを構えて待機しながら疲れで立ち寝をしてしまっていましたよ。

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最後に担ぐ瞬間の写真

掛け声の瞬間だ。

「そぅりゃ」の揃った低音ボイスは何度聞いてもかっこよかった。

その声の素晴らしさも知ってもらいたいのだが、写真では伝えられないのが残念だ。

写真って、限界ある。

来年以降、また見に行けれるならそのときは掛け声の録音もしたいものだ。