枕の下の敷いて寝ることでいい初夢が見られると言われる「初夢枕紙」というものがあるのをご存知だろうか?
12月23日(今上天皇誕生日)、金沢市飛梅町にある「金沢くらし博物館」に行った際にその紙をもらえたので、同館と併せて紹介したい。
金沢くらしの博物館へ
金沢市の兼六園の近く、国立病院の隣に「金沢くらしの博物館」がある。
行ってみるとわかるが、変なところにある。
どう変なのかと言えば、中学校の敷地内にある。
中学校の校門を抜けた先にある
金沢市立紫錦台中学校だ。
昨今、関係者以外の人が学校敷地内に入ると叱られそうな時代なので、初めて入るとき入っていいのか戸惑ってしまう。
けど、入る
勝手に学校の敷地内に入ったことで変質者に思われないか心配しながら入った。
しかも車で入っていった。
5台ぐらいのスペースだが、同館用の駐車場もあるのだ。
駐車場所は学校のグラウンドのネット裏だった。
博物館はこちら
この建物ももともとは学校だ。
明治32年(1899年)に「石川県第二中学校」の校舎として建てられている。
古い木造校舎を利用した博物館なのだ。
「金沢くらしの博物館」だ
自分はここに来るの、初めてであった。
バスで目の前を通ったり、隣の病院に行ったり近くにはよく来ているのに、紫錦台中学の中にこんなところがあるなんて正直知らなかった。
建物は昨年(平成29年)11月に国の重要文化財に
つい最近、「旧石川県第二中学校本館」が指定されたようだ。
この旧第二中学校本館は通称「三尖塔校舎」(さんせんとうこうしゃ)とも呼ばれている。
この尖塔の意匠から「三尖塔校舎」と呼ばれている
校舎はコロニアル・スタイル様式というものだそうだ。
設計者は石川県工師の山口孝吉氏で東京帝国大学卒業生が設計した現存する最古の旧制県立中学校なのだとか。資料的な価値が高いわけだ。
館内の通路の様子
天井が高い。
自分が子供の頃の学校は教室への入口は引き戸だったが、昔からなのか新しくそうなったのか扉だ。
館内では現在このような企画展が行われていた
企画展「昔の道具~暖房~」だ。
旧校舎の一室が展示場になっていた。
こんな感じで
展示されている
いまではなかなか見られない懐かしい暖房用の道具が展示されている。
この「豆炭あんか」、自分が子供の頃に祖父母の家にあったなぁ。
なお、館内の撮影は自由だった。
常設展示の様子
「戦前のくらし」という展示コーナーだ。
旗源平といった金沢の郷土玩具や正月の風物詩なども展示されていた。
その正面の「戦後のくらし」という展示コーナーの様子
昔の家電や、昔の金沢の駅前、片町などの写真なども展示されていた。
ファミコン、懐かしい。展示されているカセット、ほとんど持っていたものだ。
こんな展示も
戦後の一般家庭の部屋の様子だ。イメージとしてはサザエさんですな。
でも、むかしはホントこんな感じだった。
二階にも展示室がある
一階だけかと思ったら二階にも展示室がある。
階段の側にいるのはマスコットの「サンセントウクン」(愛称は「さんちゃん」)だ。
のぼる
昔からある階段だからか、のぼるとギシギシと踏み轟く。
こういう所に年季を感じる。この年季の入りようだと校舎としてはもう使えないだろうなと思う。
二階の廊下の様子
二階には金沢の伝統工芸を展示した特別室、金沢の文化に触れれる体験室など、計4つの部屋があった。
特別室の様子
国指定文化財である「加賀象嵌」(かがぞうがん)やそれを作る道具、市指定文化財である木工芸の器や道具などが展示されていた。
隣には「くらしの大百科」
こちらでは金沢の郷土料理や方言などが紹介され、それらの人気投票の結果なども展示されていた。
紹介されている郷土料理
子供の頃にどれも食べたなぁと思うものばかりだった。
たぶん、小学校の給食に出ていたのだと思う。
料理ランキングでは「めった汁」「ナスソーメン」「治部煮」が上位にきていた。
自分としてはどれを一位にするか悩んでしまうところだが、最下位はすぐに言える。
自分にとっての最下位
「えびす」(別名:べろべろ)だ。
小学校の給食にたまに出ていたけど、これだけは嫌いだった。
甘くどくて口に入れると「オエッ」となってしまうのだ。
自分には罰ゲームのように思えるくらい苦手だった。(作っていた人、ごめんなさい)
さらに隣には体験ルーム
ここ、なかなかおもしろい。
加賀鳶や加賀万歳の衣装を着れたり
下駄やコマ遊びの体験もできる
旗源平もある
旗源平(はたげんぺい)は金沢市に伝わる遊びだ。源氏と平家に分かれ、サイコロを振って旗を取り合っていく。
1月8日には同館で小学生を対象にした「着物で旗源平!」という名の遊び体験もあるようだ。
最後の部屋は「学校時代」
金沢第二中学校として建設され、石川県立第二中学校となり、戦中、戦後を経て現在の紫錦台中学校になった経緯などが写真付きパネルで紹介されていた。
むかし使われていた教科書や古いランドセルなどの展示もある。
学校時代だった頃の教室の様子も再現
机やイスが全て木製だ。
現代的な視点に立つと、こっちのほうが贅沢な気がする。
観覧料はこのように
一般で300円。高校生以下は無料だ。
開館時間は9時半~17時までだ。
初夢枕紙をもらう
そんな金沢くらし博物館にて、12月23日から26日(同館HPでは28日までとなっていた)にかけて入館者に初夢枕紙のプレゼントが行われていた。
受付にて観覧料を払うとその場でもらえた。
初夢枕紙は枕の下に敷いて寝ると良い初夢が見られるとして大正時代頃までは神社などで初詣に来た参拝客に配られていたそうだ。
同館の「戦前のくらし」展示室にも昔のものが展示されていた。
むかしの初夢枕紙
年代は不詳とある。
宝船に七福神、この構図はむかしからずっと続いているようだ。
そして必ず、
「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」
(長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな)
という歌も記されてある。
この歌、実は回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ文)になっている。
いつごろ始まって、どういう経緯でこういう絵が描かれ、その紙が配られるようになったのか不明だけど、なかなかおもしろい風習だ。
こちらが同館にてプレゼントされた初夢枕紙
宝船に七福神、そして回文歌。
よく見ると鶴や亀も描かれている。
縁起がいいものばかりだ。
これを初夢を見る日に枕の下に敷くわけだが、いわゆる初夢は、一般的に元旦の晩から1月2日にかけて見る夢だといわれている。説によれば2日の夜から3日にかけてというのもあるようだけど、自分はとりあえず元旦の晩に敷くことにした。
初夢
元旦の夜に枕の下にしのばせた
布団に入ってからもテレビや映画を観ていて気がついたら付けっぱなしで寝ていたので、実際何時に寝たのかよく覚えていない。
いつ寝たのかも覚えていなければ、どんな夢を見たのかも、あまり覚えていなかった。
夢なんてそんなものだろう。
ただ、あまり覚えていないけれど、ただひとつ、最後に何故かはわからないが、
「琥珀」が出てきたのは覚えている。
富士でもなければ鷹でもなければ茄子でもなく、「琥珀」だ。
あの黄色やオレンジ色っぽい色をした樹脂が化石化した宝石だ。
それがドンッと頭の中で浮かんでいた。
自分でも意味不明だ。
「琥珀 夢占い」をググってみたけど、いくつも出てきてよくわからない。
とりあえずよくわからない一年が始まりそうだということは、よくわかった。