映画ソムリエを目指す猫

〇〇なときに観たい映画をレビューしており候。

『コラテラル』 夢見るだけで実行できないのできっかけがほしい時に観たい映画

コラテラル

公開:2004年8月6日(アメリカ)

上映時間:120分

監督:マイケル・マン

製作:マイケル・マン、ジュリー・リチャードソン

脚本:スチュアート・ビーティー

撮影:ディオン・ビーブ、ポール・キャメロン

音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

編集:ジム・ミラー、ポール・ルベル

出演:トム・クルーズジェイミー・フォックス、ジェイダ・ピンケット=スミス、マーク・ラファロピーター・バーグハビエル・バルデム、他

 

あらすじ

リムジン会社を始めることを夢見ながらタクシーの運転手を続けるしがないマックスは、ある晩、偶然乗せたヴィンセントに5箇所まわるところがあるので一晩乗せ続けてくれと頼まれる。1箇所目にて待っているとき、ヴィンセントが入っていった建物の窓からタクシーの屋根に死体が降ってきた。その死体をトランクに詰め、運転を続けろと銃で脅すヴィンセントはプロの殺し屋だった…

 

レビュー目次

 

 

殺し屋と夢見るだけのしがないタクシードライバー、どっちがまっとう?

仕事として人を殺し、人間の命も60億分の1としか感じない殺し屋ヴィンセント。

人を殺すという大罪で稼いでいるのだから法治国家としては許されない存在であろうが、そんな犯罪者で悪人の彼でもプロとしての哲学があるから、観ていて考えさせられる。

とくに、リムジンの会社を始めることを夢見ながら、その夢を心の支えにしがないタクシードライバーを続けているマックスと比較すると、果たしてどちらがまっとうな人生を送っているのかわからなくなる。

この猫の目からしてもヴィンセントという殺し屋は法を犯す悪人であることに間違いはないが、タクシードライバーをしている今の自分は仮の姿などと言い、入院中の親にもすでにリムジン会社を立ち上げていると嘘をついているマックスの人間の小ささは、特に「プロ」という観点からするとナンセンスに思えてくるのだ。

事実、二人の掛け合いの中でもヴィンセントの言うことのほうに説得力を感じてしまうことが多々ある。

「いつか夢が叶うと?」「お前は本気でやろうとしていない」

といった、夢見るマックスに対するヴィンセントの反論はズシリと重い。

老後過ぎても夢が叶わず落ちぶれていくといったことまで言っていたが、きっとそうなるだろう。

 

冷酷な殺し屋でもその仕事は「プロ」

比べてヴィンセントは、人殺しであっても、仕事だからと冷徹に躊躇もなくすぐに行動に移している。邪魔するチンピラも警察も即排除だ。

彼からすると、自分のやっている殺しという仕事も、戦地で人を殺めることになる軍人や傭兵と何も変わらないと思っているのかもしれない。

軍人も、警察だって任務に忠実に人を殺めるだろと、そんな反論がヴィンセントの口より聞こえてきそうだ。

プロとして仕事をする以上は、それくらいの行動力と哲学を持たなくてはやっていられないと教えられるようでもある。

彼を見ているとNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組を思い出し、その主題歌が頭の裏で流れてしまう。

 

夢見るだけの庶民はごまんといる

一方で、私はマックスの方にも同情してしまう。

ヴィンセントに痛いこと言われているけど、それも銃口を向けられていれば反論もできないものだ。

何より、夢見るけど成就しない庶民なんてごまんといる。いや、ほとんどの庶民がマックスと同じようなものなのではないだろうか。

多くの人間は、夢はあっても食うために、生活のために、家族を養うために夢とは違う仕事をしているものだ。

たとえその道のプロであっても、犯罪を犯している奴に言われたくないものだろう。

 

きっかけがあれば人間は事を起こす

人間、何かを成し遂げるためには行動を起こさなければならず、そのためには覚悟も必要であり、その覚悟を決める何かしらのきっかけというものも必要だ。

この映画は、今現在何かを成し遂げたい、夢があると言う者に、そのきっかけを与えてくれる映画であろう。

劇中でマックスがヴィンセントの言うことについにキレて、タクシーをスピードオーバーから横転させるという反撃をしてみせたように、またヴィンセントの最後のターゲットが自分が惚れた女性だとわかって彼女を守ろうとしたように、人間、何かきっかけがあれば事を起こすものである。

まあ、事なんて起こさずに平々凡々と生きていたいという者からすると理解しがたい映画かも知れないが、同作を見て少なからずヴィンセントの言うことに一理を覚えたり、マックスの後半の行動に興奮を覚えてしまった人は、夢があって今まさにそれに向かって実行している人間か、または夢を抱きながらくすぶっている人間であろう。

 

二人で一つの模範

そんな人間たちからすれば、ヴィンセントとマックスはともに背中を押してくれる教師のようなものだ。(もしかしたら反面教師かも知れないが…)

冷酷だがプロフェッショナルのヴィンセント、心優しいがうだつの上がらないマックスを足して割れれば理想かもしれない。

いや、どちらか片方では何かが違って極端になるか、模範にもならない模範になっていただろうことを考えると、二人で初めて人間の一つの模範になるのかもしれない。

作中、ヴィンセントが、巻き込まれたことに嘆き「どうして俺だったんだ」と問うマックスに対して「運命」といった返答をしているシーンもある。

二人の出会いというものは、視聴者にとっても確かに「運命」であったのではなかろうか。

 

追記(悪人役のトムさん)

それにしても、本作はトム・クルーズが悪役を演じるとして注目されていたが、悪役でもどうしようもない悪ではなく、解釈次第でこのように模範になりうる役どころでもあるのだから、トムさんはやっぱりベビーフェイスな方だ。

もっとも、最後の地下鉄車内でマックスたちを追っている時のトムさんの冷徹な表情にはシビれるものがあった。

むかしはアイドルっぽいイメージの俳優であったものの、いまはもう「プロ」の俳優だなと思える。