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映画ソムリエを目指す猫

〇〇なときに観たい映画をレビューしており候。

『6才のボクが、大人になるまで。』 成長期の悩みや不安を共感してもらいたい時に観たい映画

洋画 心・気持ち 青春ドラマ

6才のボクが、大人になるまで。

公開:2014年11月14日(日本での公開)(米国映画)

上映時間:166分

監督:リチャード・リンクレイター

製作:リチャード・リンクレイター、キャサリン・サザーランド、ジョン・スロス、ジョナサン・セリング

脚本:リチャード・リンクレイター

撮影:リー・ダニエル、シェーン・ケリー

編集:サンドラ・エイデア

出演:エラー・コルトレーンパトリシア・アークエットローレライ・リンクレイター、イーサン・ホーク、他

 

あらすじ

6才のメイソンは姉と母とで暮らしていた。父親は音楽活動に熱を入れていたため離婚していたが、ある日アラスカから帰ってくる。父親が子どもたちと会うようになる中、母親は子持ちの大学教授の男と再婚してしまう。しかし、その再婚相手もアルコール中毒で暴力を振るうようになると、母親は実の二人の子供だけを連れて家を出ていく…。少年メイソンが18才で高校を卒業するまでの12年間をすべて同じキャスト陣で描く。

 

レビュー目次

 

観測映画のよう

6才の少年が18歳になるまでの12年間を12年かけて撮ったと言うから恐れ入る。根気のいる撮影であったろう。

おかげで最初は6才の少年だった子の大人になるまでの、顔や背格好といった肉体的な成長の過程を拝見することができる。もちろん、その姉を演じている娘の成長も、そして母や離婚した父が老けていく姿も拝める。

人間の肉体の成長観察をしているようで、猫の私からすればそれだけで面白かった。

母親が計3度も離婚したり、最初の父親が別の女性と再婚しても子どもたちと何度も会って仲良くしていたり、カメラを始めたメイソンがその道の学校へと進学したりする物語そのものはフィクションであるが、12年間の時間の流れをすべて同じキャストで12年間かけて撮っているものだから、時々ドキュメンタリー映画のようにも思えてくるのだ。

フィクションとノンフィクションの間にあるような不思議な映画であった。

また、主人公たちが今何歳であるか、といった情報をテロップなどで流すことを一切しない点もユニークである。

今何歳であるかは、会話の中からや、その時使っているパソコンの機種だったり、大統領選で誰と誰が戦っているかといったニュースから読み取れる。時代を振り返っているようで、懐かしくもあった。

 

大人になるまでに体験すること

少年は成長期の中で様々な悩みや不安を抱え、また様々な経験を経て大人になるものだ。本作はそのどれか一つの出来事を切り取るのではなく、そのほとんどを描こうとしている。

小学生低学年の時はこんな経験をして一つ大人になった、中学生の時にはこっそり酒も体験、高校生の時には理屈っぽくなり反抗期もあった、恋もして失恋もした…アメリカ人の多くが大人になるまでに体験するであろうエピソードが、無理なく自然の流れのように描写されているのである。

そしてその節々に、関わる大人たちが時に理不尽な言葉を、時に実のある言葉を投げかけてくれる。その役割の大半を担っていたのが、最初に離婚した実の父親であるのだから、この猫の目からすれば少年メイソンやその姉はなんだかんだで親から愛されていたと思えてならない。

さらに言えば、決して器用ではないその実の父親を見ていると、人間の大人も決してパーフェクトな人間ではない、いやだいぶ欠点だらけであるということがわかる。これもまた面白いことに、子どもたちの成長とともに、彼ら親たちの親としての成長も垣間見ることができるのである。人間は老いても精神は常に成長するもので、成長していかないといけないようだ。

最後、メイソンが18歳で高校を卒業、アメリカ社会でいえば「大人になる」ことで、子供と親のそれぞれの成長に一区切りつくことになる。その際、母親が突然怒ったように泣き出している。その達成感と虚無感による涙は、これまた子供を育ててきた親たちの誰もが体験することであり、多くのアメリカ国民の親世代から共感を呼ぶであろうと思われる。

成長をする側も、成長を見守る側も共にシンパシーを感じられる映画なのである。

こう考えると、人間の成長過程で抱く悩みなどは多くの人間が抱いている悩みであり、子も親も共に「どうして私だけ…」といった孤独を感じる必要はないのかもしれない。

少なくとも、この映画を観ながらそう感じた。

 

余談

さて、この映画を観終えて「高校卒業したらもう大人」という価値観にアメリカらしさを覚えた。日本の民家にて日本の家庭で飼われている猫の私などは、子供と大人の線引きは「大学卒業」、仮に高卒で働きだしても、法的にお酒やタバコが飲めるようになる20歳を過ぎて初めて「大人」であると思っていただけに18歳という区切りにはいわゆるカルチャーショックを受けたものである。

まあ我々ネコからすると18年も生きていたらもうご老体、下手すりゃ仙人(仙猫)の領域に片足を突っ込んでいるようなものなので、人間の18歳も20歳もどちらもお子様みたいなものである。

家の者も私のことをパシャパシャとカメラでよく撮っているが、いつかそれらをまとめて一つのアルバム大作にして、私に献上していただきたいものだ。その時は我が成長と老いを目で追いながら、家の者たちの成長と老いも同時に確認してくれようと思う。

 

6才のボクが、大人になるまで。 [DVD]