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映画ソムリエを目指す猫

〇〇なときに観たい映画をレビューしており候。

『巨人と玩具』 仕事場で調子に乗っていると思ったときに観たい映画

邦画 仕事 社会派ドラマ

『巨人と玩具』

公開:1958年6月22日(日本)

上映時間:96分

監督:増村保造

製作:永田秀雅

脚本:白坂依志夫

撮影:村井博

編集:中静達治

音楽:塚原哲夫

出演:川口浩高松英郎野添ひとみ、信欣三、伊藤雄之助、藤山浩一、小野道子、山茶花究、他

 

あらすじ

 「ワールドキャラメル」ではキャラメルの売上が伸び悩んでいたため、同業他社に負けない宣伝を打ち出すことで打開しようとする。この上層部の指示に応えたのが、若き宣伝課課長で野心家の「合田竜次」という男だった。合田は子供に受けそうな景品も企画、また部下の西洋介とともに無名の一般人・島京子をマスコミを使って有名人に仕立て上げ、彼女をイメージガールにする。宣伝の力を過信し、競合他社である「ジャイアンツ」や「アポロ」との特売合戦に臨むのだが…

 

レビュー目次

 

タイトルから

「巨人と玩具」というタイトルをまず見て思い浮かんだものは、大巨人が現れる特撮映画だったが、視聴してみてもそれら怪獣クラスの巨人の姿はどこにも現れず、ただ人間たちがキャラメルの売上を巡って喜怒哀楽している映画であった。

まあ、猫にしてみれば延髄の肉を指で掴んで、この胴体をひょいっと持ち上げてしまえる人間こそが巨人であるのだから、この猫の目で物言えば人間が出ているだけでそれはもう立派に「巨人」の映画だろう。

 

主役は誰か?

さて、この映画、具体的にはキャラメルを主力商品とするお菓子メーカーの宣伝部の話だ。今の世で言えばマーケティング部に所属するマーケッターの物語といったところだろうか。

あらすじは上記のとおり、若き宣伝課長「合田」が「西洋介」と、旧態依然とした幹部たちが考えつかないような斬新な宣伝を仕掛けていく。

面白いもので、50年代の古い日本映画であるが、大衆の心理を上手くついているせいか現代でも通じる宣伝戦略なのではないかと視聴しながら思えてくる。

裏を返すと、人間の心理なんてものは半世紀が過ぎてもその根本の構造は変わっていないのかもしれない。

それでも「島京子」という無名の女の、あの虫歯だらけの前歯とやんちゃくさい性格は時代によっては受け入れられまい。

受け入れられないかもしれないが、ああいう突飛な娘が突如世の中に新出して話題になることはどの時代でも起こりうることだ。

無名の一般人が有名人になるのだから、島京子にしてみればシンデレラストーリーのような話でもある。

その点だけを見ると、この「巨人と玩具」の主人公は島京子のようにも見える。

ただし「見える」としただけで、彼女が主人公であると断定はできない。人によっては合田の部下である「西洋介」こそが主役であるという者もいる。私のこの猫の目によれば、「巨人と玩具」の主人公はやはり宣伝課長の合田こそであると映る。

 

合田という男

この合田、 

「大衆は馬鹿。キャラメルキャラメルとメディアで刷り込めばそればかり食べる」

と言ったことを平気で口にするかなり驕った男だ。

宣伝やメディアで世の中を支配していると本気で考えているような人間だ。

さらには競合他社の一つで一番売上のある「アポロ」が不祥事で蹴躓くと、そのスキを突くように自社のキャラメルの大量増産も敢行している。この横のつながりを無視した不義理な販売戦略を自分の嫁の父でもある部長に注意されるのだが、その部長を追いやって自らがその役職に就いてしまうのだから、なかなかのやり手だ。

まあ、情に厚い人間族の一般庶民からすれば、この合田という人間は自分の野心のためなら何でも利用する血も涙もない冷酷無情な男だと見えるかもしれないだろう。

三年の恩を三日で忘れると言われる我々猫界隈では、こういう弱肉強食の掟に素直に従う輩はよく見かけるので、私としてはこの合田を毛嫌いすることはない。

考えてみると、大昔は人間もこう本能に忠実な動物であったのだろうに、現在の社会ではよほど平和なのか大方の人間はその本能を克服して秩序だっているように思う。

そのため、たまにこういう自己中心的な野心家が登場すると、社会全体でワタワタとしてその勢いにあっさり飲み込まれてしまうようだ。少し前の、ホリエモンの登場がその一例になろう。先の島京子の突飛な魅力の影響力もきっとこの理屈に沿うものだ。

 こう無情な野心家「合田」を「やり手」と賞する私は、確かに彼を毛嫌いはしないものの、これを絶賛して信奉するような気も毛頭ない。

誰が相手だろうと付かず離れずを性分とする呑気な私からすれば好きでも嫌いでもどちらでもないのだ。

それでも合田という人間にはすこぶる興味を抱く。彼こそがこの「巨人と玩具」の主人公であるとの考えも揺るぎない。

その理由はひとえに彼の顛末だ。

若くして部長職まで出世した彼が、このあと売上が伸び悩んで人生を転落させていくのだ。それも、秩序だったいまの人間社会の中にあってはだいぶ破滅的な転落を迎えている。

売上を伸ばそうと躍起になっても成果は上がらず、島京子にも裏切られ、果ては過労となり、2016年の現在では東南アジアの某国大統領に死刑にされそうな覚醒剤の使用にまでいたっているのだ。

こう書いて誤解してもらいたくないのは、私などは他人の不幸を肴(さかな)にして飯を美味いと感じるようなチャラい猫では決してない。

思い上がった男の人生の転落が、まことドラマであるから、合田という男に興味を抱くのだ。

幸不幸を問わず、戯曲のように生きている人間こそ、私の好物なのである。

 

調子に乗っていると思ったときに観たい

このように「巨人と玩具」は我が世の春から一気に転がり落ちるサラリーマンの話である。

作中、

「宣伝や需要には限界がある」

といった忠告を受けている姿が印象的で、それを聞き入れずに失敗している姿を見ると、現実の自分もまた職場で何かを過信し周りの人間を軽く見ていないだろうかと自省するきっかけを与えてくれる。

これにおいて、この映画は仕事場にて自分が調子に乗っているのではなかろうかと少しでも気付いた時に観たい映画である。

盛者必衰の反面教師として役に立つだろう。

逆に、社内にて自分以外の誰かが調子に乗っていて、そいつのせいで自分がイライラしたりうんざりしているときに観ても、「あいつもいずれこうなる」と己を慰めてくれる映画となるかもしれない。ただその際は、他人の不幸を喜ぶように視聴することだけは避けた方が良いだろう。

 

最後に、島洋介のラストのヤケクソっぷりを観て感じたものを記したい。

 そのシーンには、

日本人に生まれたからには一生働き続けなくてはならない

といった強迫観念めいたものを感じ取った。

毎日家の中でゴロゴロすることが仕事である猫に生まれて良かったと、私はつくづく思う。 

 

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